東大曽根までの開業
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「名古屋市電大曽根線」の記事における「東大曽根までの開業」の解説
中央本線大曽根駅東側の地域では、1924年(大正13年)矢田町に三菱電機名古屋製作所が進出。1937年(昭和12年)には大幸町に航空用エンジン専門工場の三菱重工業名古屋発動機製作所が発足した。後者は最盛期の1944年(昭和19年)には戦後も工場が残った現在のナゴヤドーム周辺から矢田川沿いの砂田橋方面にまたがる98万平方メートルの敷地を擁し、4万人余りの工員が働いていた。 1937年の日中戦争勃発後、市電による軍需工場への工員通勤輸送が増加すると、大曽根停留場の利用も急増して1940年10月の調査では1日の乗降客数が2万8000人(市電全停留場中第6位)にのぼった。1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争が勃発すると工員輸送もさらに増加したことから、市では戦時輸送体制を強化し、戦時中という制約の下で輸送力増強に邁進していく。大曽根周辺でも新線建設が進められ、まず1942年(昭和17年)6月25日、大曽根線全長0.664キロメートルが大曽根停留場から東大曽根停留場まで開業した。翌1943年(昭和18年)5月には東大曽根停留場から矢田町経由で昭和区桜山町へ至る市営トロリーバス(1951年廃止)も開業している。 1946年当時の市電大曽根線周辺帰属:国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス 戦時下の1943年12月時点では、東大曽根停留場には市内各地へ計5系統(トロリーバスを除く)が設定されていた。しかし戦後になると大曽根と上飯田を結ぶ市電御成通線が主体となっており、1950年(昭和25年)12月改正時点では上飯田(御成通線)発着の系統3に対し東大曽根(大曽根線)発着の系統は名古屋駅前とを結ぶ系統のみへと縮小されている。 なお、未開業区間0.4キロメートルの特許は戦後1956年(昭和31年)10月4日付で起業廃止が許可されて失効した。
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