東大曽根までの開業とは? わかりやすく解説

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東大曽根までの開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 14:53 UTC 版)

名古屋市電大曽根線」の記事における「東大曽根までの開業」の解説

中央本線大曽根駅東側地域では、1924年大正13年矢田町三菱電機名古屋製作所進出1937年昭和12年)には大幸町に航空用エンジン専門工場三菱重工業名古屋発動機製作所発足した後者最盛期1944年昭和19年)には戦後工場残った現在のナゴヤドーム周辺から矢田川沿いの砂田橋方面にまたがる98万平メートル敷地擁し、4万人余り工員働いていた。 1937年日中戦争勃発後、市電による軍需工場への工員通勤輸送増加すると、大曽根停留場利用急増して1940年10月調査では1日乗降客数が28000人(市電停留場中第6位)にのぼった1941年昭和16年12月太平洋戦争勃発する工員輸送もさらに増加したことから、市では戦時輸送体制を強化し戦時中という制約の下で輸送力増強邁進していく。大曽根周辺でも新線建設進められ、まず1942年昭和17年6月25日大曽根線全長0.664キロメートル大曽根停留場から東大曽根停留場まで開業した。翌1943年昭和18年5月には東大曽根停留場から矢田町経由昭和区桜山町へ至る市営トロリーバス1951年廃止)も開業している。 1946年当時市電大曽根線周辺帰属国土交通省国土画像情報カラー空中写真)」配布元:国土地理院地図空中写真閲覧サービス 戦時下1943年12月時点では、東大曽根停留場には市内各地へ計5系統トロリーバスを除く)が設定されていた。しかし戦後になると大曽根上飯田を結ぶ市電御成通線が主体となっており、1950年昭和25年12月改正時点では上飯田御成通線)発着系統3に対し東大曽根大曽根線発着系統名古屋駅前とを結ぶ系統のみへと縮小されている。 なお、未開業区間0.4キロメートル特許戦後1956年昭和31年10月4日付で起業廃止許可され失効した

※この「東大曽根までの開業」の解説は、「名古屋市電大曽根線」の解説の一部です。
「東大曽根までの開業」を含む「名古屋市電大曽根線」の記事については、「名古屋市電大曽根線」の概要を参照ください。

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