東大殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 14:45 UTC 版)
857年に建立された東大殿は、南禅寺(782年)、広仁王廟正殿(831年)に次いで中国に現存する3番目に古い木造建築物である。大殿は山門から最も遠い東端に位置しており、大きな石造基壇の上に建てられている。規模は桁行7間、梁間4間で幅34メートル、奥行き17.7メートルの単層構造である。屋根は身舎(もや)と庇部分にすべて同じ高さの柱を使用して支える殿堂式である。使用されている柱は高さがほぼ5メートルで、外周部に22本と身舎に14本の合計36本があり、内転を持ち、エンタシスが施されていて、両脇の柱間はその他の柱間よりも若干狭い。身舎は桁行5間、梁間2間となっており、梁(はり)のみが架構されている。堂内外に使用されている組物は7種類あり、柱の高さの3分の1にも及ぶ姿が雄大で美しい。堂内は格天井となっていて、寄棟造の屋根の構造はほとんど見えない。多数の斗と肘木が複雑に組み合わされた組物の使用が、唐代における佛光寺の高い格式を示している。11世紀の中国建築書『營造法式』によると、佛光寺の大殿は全部で8段階の格に分類される建築様式のうち7番目の様式を忠実に再現しており、大殿が唐代の非常に重要な堂であったことを示している。唐の時代の建造物でこのように高い格式を持つものは他に現存しない。 大殿には35体の塑像が納められているが、1930年代の再塗装により、元の芸術的価値はかなり損なわれてしまっている。また、堂内の壁には唐代以降に描かれた壁画が残されている。堂中心部の須弥壇には釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の座像が並ぶ。いずれも蓮華座に座り、両側に4体の守護像と、前方には2体の菩薩像が脇侍として控えている。須弥壇の隣には、獅子にまたがる文殊菩薩像と象に乗る普賢菩薩像が安置されている。さらに、須弥壇の両脇は二天王が固めている。堂内後方には、大殿の建立費用を寄進した寧公遇の像と僧願誠の像が置かれている。堂内には一面の大壁画があり、釈迦の前世における物語を表す本生譚(ほんしょうたん)が描かれている。この他、文殊菩薩と普賢菩薩が寺院に対する寄進を受けている様子が描かれた小さい壁画も残されている。
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