木曽殿最期とは? わかりやすく解説

木曾殿最期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:39 UTC 版)

源義仲」の記事における「木曾殿最期」の解説

寿永3年1184年1月6日鎌倉軍が墨俣越えて美濃国入ったという噂を聞き義仲怖れ慄いた。15日には自らを征東大将軍任命させた。平氏との和睦工作や、後白河法皇伴って北国下向模索するが、源範頼義経率い鎌倉軍が目前迫り開戦余儀なくされる義仲京都防備固めるが、法皇幽閉にはじまる一連の行動により既に人望失っていた義仲付き従う兵は無く宇治川瀬田での戦い惨敗した宇治川の戦い)。 戦い敗れた義仲今井兼平数名部下と共に落ち延びるが、21日近江国粟津現在の滋賀県大津市)で討ち死にした粟津の戦い)。九条兼実は「義仲天下執る後、六十日を経たり信頼前蹤比するに、猶その晩きを思ふ」 と評した享年31『平家物語』には、義仲幼い頃から苦楽を共にしてきた巴御前との別れ兼平との語らい等、巴や兼平義仲へのお互い苦しいたわり気持ち美し主従の絆が書かれている義仲戦死したとき嫡男・義高は頼朝の娘・大姫の婿として鎌倉にいたが、逃亡図って討たれた。義仲家系絶えたとされる諸説あり、戦国大名木曾氏義仲の子孫を自称している。

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木曾殿最期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 18:09 UTC 版)

今井兼平」の記事における「木曾殿最期」の解説

『平家物語』の「木曾殿最期」の段の義仲兼平最期は、悲壮美満ちている。また、この場面兼平矛盾した言い方や、「弓矢取りは、年頃日頃如何なる高名候へども、最後に不覚しぬれば、永き瑕(きず)にて候なり。(武士は、常日頃からいかなる名誉を得たとしても、最後に不覚取っては、後世長い間にわたり名に傷がつきます)」の武士たる心構え伝える言に、その情況に応じての、兼平義仲への苦しいたわり気持ち美し主従の絆が書かれている。 「日頃は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなったるぞや(いつもは何ともない鎧が、きょうは重くなったぞ)」と言う義仲対し、 「それは御方(みかた)に続く勢が候はねば、臆病でこそさは思し召し候らめ。兼平一騎をば、余の武者千騎と思し召し候べし。ここに射残した矢七八つ候へば暫く防矢(ふせぎや仕り候はん。あれに見え候は、粟津松原申し候。君はあのの中へ入らせ給ひて、静に御自害候へ(それは殿に続く軍勢がないので、臆病になられたのでしょう兼平一騎を、殿の武者千騎と思ってくださいませ。ここに矢の七本八本残ってございますので、これでしばらくは防ぎ矢放つこともできましょう。あちらは粟津松原と申します。殿はあの松原中に入られ静かに御自害なさいませ)」と述べ義仲が「所々討たれんより、一所でこそ討死もせめ(ばらばらで討ち死にするより、一緒に討ち死にしよう)」と言うと、 「弓矢取りは、年頃日頃如何なる高名候へども、最後に不覚しぬれば、永き瑕(きず)にて候なり。御身も労(つか)れさせ給ひ候ひぬ。御馬弱って候。云ふ甲斐なき人の郎等組み落とされて、討たれさせ給ひ候ひなば、さしも日本国鬼神聞こえさせ給ひつる木曾殿をば、某が郎等の手懸けて討ち奉ったりなんぞ申されん事、口惜しかるべし。唯理を枉げて、あの中に入らせ給へ武士は、常日頃からいかなる名誉を得たとしても、最後に不覚取っては、後世長い間にわたり名に傷がつきます。殿はお疲れでございます御馬弱ってございますふがいない者が郎党組み落とされて、討たれたりしたら、さしも日本国鬼神と言われ木曽義仲を、だれかの郎党の手かかって討ち取ったと言われることは悔しいことです。そこは無理を承知であの松原お入りくださいませ)」と述べた義仲討たれると、「今は誰をかかばはんとて、軍をばすべき。これ見給へ東国の殿ばら、日本一剛の者自害する手本よ(いまは誰をかばうために戦をすべきであろうか。東国武士どもよ、これを見よ日本一剛の者自害仕方よ)」と言い太刀の先を口の中に含み馬上から飛び降り太刀貫かれ自害した。 (現代語簡訳:戦前義仲に「武士らしく強気になれ」と助言をし、戦中は死を共にしようとする義仲に「疲れているのだから潔く自害しなさい」と冷静に助言し義仲自害する時間稼ぎをした。義仲討ち取られたと知った直後、「東国方々、これが日本一強者自害する手本だ」と言った。)

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