晩年の絵画とエッチングとは? わかりやすく解説

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晩年の絵画とエッチング(1884 - 1908年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 08:09 UTC 版)

ジョヴァンニ・ファットーリ」の記事における「晩年の絵画とエッチング(1884 - 1908年)」の解説

1875年以降、彼は多く版画制作するようになり、1884年からは相当数エッチング制作している。これらはフィレンツェのPromotrice展(1886年)やボローニャ万国博覧会1888年)で評価された。同年、これらはローマ国立近代美術館購入するところとなる。彼のエッチング技法コンポジション両面画期的であった1884年20点写真複製からなるアルバム20 Ricordi del veto』を制作した1888年フィレンツェアカデミー素描専任教授昇任し建築学科の「人物習作教授」の称号得た。彼は野外で、小さ木製パネルスケッチをしたが、それらのスケッチは、より大きなサイズ田園風景画を制作する際の参考となった。『マレンマにおける子馬焼印押し』(1887年)、『マレンマ牛飼いと牛の群れ』(1894年)などの作品である。これらの大型キャンバスには同時代伝統的絵画欠けていたドラマチックさと広々とした感じ表されている。ケルン1889年入賞)、ボローニャミラノ(ブレラ・アカデミー、1891年)、トリノアルベルティーナ美術アカデミー1900年)、フィレンツェでの展覧会参加ロンドンにおけるイタリア博覧会には『集める人』を出品したパリでは1889年万国博覧会栄誉賞1900年万国博覧会では金メダル授与されている。 1891年にはマリアンナ・ビゴッツィ・マルティネッリと2度目の結婚をする。作品売り上げいくらか収入があったとは言え暮らし貧しかった金銭トラブルふくれあがる借金のため、再び個人レッスンをせざるをえなくなった額縁を買う金にも事欠き1896年ドレスデン展覧会への出品あきらめたまた、彼は挿絵を描くようになった最初アレッサンドロ・マンゾーニ歴史小説婚約者』のため(1895年)、1896年には『フィアンメッタ』という風刺新聞友人のディエゴ・マルテッリによって設立)に挿絵描いた1900年にはトリノアルベルティーナ美術アカデミー一員となる。2番目の妻は1903年死去し1906年にはファニー・マリネッリと結婚している。 老年期のファットーリは、イタリア統一後の社会政治秩序対する苦い失望感味わっていた。引き続き美術アカデミー教鞭執り続けていたが、新し考え取り入れるよりは古い伝統にすがることを好んだ1890年代、ファットーリが最も気に入っていた生徒であるプリニオ・ノメリーニをリーダーとするグループは、新印象主義やディヴィジョニスム(分割主義点描主義)の方向向かっていたが、正直さ率直さ知られていたファットーリは、そうした動き苦々しく思っていた。1891年にはポワンティリスム(点描主義)に対抗する論争参加している。1903年頃、彼はこう書いている。「最悪動物何だ知っているか。それは人間だ。なぜか。自己中心的で、いんちきで、裏切り者だからだ。私は何も信じない。私にとって聖なるものなど何もない、私の妻と義理の娘以外には。私は無神論者だ。善も悪も神次第なら、そのような神が実在するはずだとは私は信じない。私は長年希望持って生きてきたが、失望のうちに終わりそうだ」。晩年の作品なかんずく『The Dead Horse—What Now?』には、彼の深い絶望を表すイメージみられる。ファットーリは1908年8月30日フィレンツェ没した故郷リヴォルノ近くのモンテネロのマドンナ・デッレ・グラツィエ聖所記念堂のロッジャに、リヴォルノ他の著名人たちと共に眠っている。

※この「晩年の絵画とエッチング(1884 - 1908年)」の解説は、「ジョヴァンニ・ファットーリ」の解説の一部です。
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