晩年の雪解け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:03 UTC 版)
「アンナ・アフマートヴァ」の記事における「晩年の雪解け」の解説
スターリンの死(1953年)と、それに続くスターリン批判ののちは、ソ連当局もアフマートヴァの詩才を認めざるをえなかった。1958年、ようやく新しい詩集を刊行することができるようになったのである。 サンクトペテルブルク郊外のコマロヴォにある別荘にはヨシフ・ブロツキー(Joseph Brodsky)をはじめとする若い詩人たちがしばしば訪れるようになり、彼らによって、アフマートヴァの詩の精神は21世紀になってもサンクトペテルブルクの詩人たちのあいだで生き続けることとなった。また1962年には彼女の別荘をロバート・フロスト(Robert Frost)が訪れている。 晩年に革命前からの友人に会う機会を得たのが、不遇の生涯におけるささやかな幸福だったといえる。1964年にはエトナ・トルミナ賞を受賞するためにイタリアのシチリアへ、1965年にはオックスフォード大学の名誉博士号を受けるためイギリスへ行く許可を受けることができたのである。このときにはリージャ・チュコフスカヤが同行した。 1966年3月5日、心臓発作の療養のために滞在していたモスクワ郊外のサナトリウムにて、アンナ・アフマートヴァはその生涯を終えた。(76歳9ヶ月) アフマートヴァの名声は死後ますます高まり、彼女の生誕百周年を目前に控えた1987年にはついに祖国(当時は旧ソ連)でも長らく発禁処分になっていた『レクイエム』が解禁となり、20世紀文学の記念碑的長詩がその全貌をあらわにした。 アフマートヴァが1920年代から1952年まで住んでいたサンクトペテルブルクのフォンタンカ運河に面した噴水邸(Sheremetev Palaceとしても知られる)には、アフマートヴァの記念館が建てられた。
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