晩年の長政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 15:15 UTC 版)
1947年には総司令部より公職追放とされるが、世界中から彼に助けられたユダヤ人や中国人の弁護の声明が出された。1950年には公職へ復帰。これ以降、経営者として辣腕を振るいながら、妻のかしこの世界的な文化事業をバックアップしていく。 ヴェネツィア国際映画祭に、黒澤明監督の『羅生門』を携えて参加し、グランプリを獲得(川喜多記念映画文化財団はこのように紹介しているが、川喜多長政がヴェネツィア映画祭に出席していないことが判明している) 1964年10月28日、藍綬褒章受章 1973年11月3日、勲二等瑞宝章受章 フランスからシュバリエ・ド・ラ・レジォン・ドヌール勲章 イタリアからコメンダトーレ勲章 1981年5月24日、肝硬変により78歳で逝去。正四位に叙せられ、銀杯一組が賜与された。
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