昭和から平成へ・再入院とは? わかりやすく解説

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昭和から平成へ・再入院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:41 UTC 版)

美空ひばり」の記事における「昭和から平成へ・再入院」の解説

1989年1月8日、ひばりは元号が「昭和」から「平成」へ移り変わった日を「平成の我 新海流れつき 命の歌よ 穏やかに…」と短歌詠んだその3日後の1月11日、『川の流れのように』のシングルレコード発売される。しかしこの時のひばりの肺は、既に病に侵されていた。 1月15日、『演歌の花道』と『ミュージックフェア』へそれぞれVTR出演した各番組最後で『川の流れのように』など数曲を歌ったが、『ミュージックフェア』が放送時間上ひばりにとって、結果的に生前最後テレビ出演となった。同番組1989年第1回目放送は「美空ひばり特集」として1月8日予定されていたが、昭和天皇の崩御に伴い特別編成が組まれ1週間先送りとなったこの頃のひばりはドーム公演時から見てもさらに痩せて体調明らかに悪化していた。なお、1月中のひばりは熱海への家族旅行や、両国国技館大相撲見物の他、自宅での静養多かったとされる体調一時期平行線であっても好転することはなかった。 コンサート数日前早めに現地入りたひばりは、医師診療受けた際に以前より病状芳しくない状態であることを告げられていた。それでもこの年全国ツアー「歌は我が命」をスタートさせたが、初日2月6日福岡サンパレス公演で、持病肝硬変悪化からくるチアノーゼ態となる。公演中の足のふらつきなど、舞台袖から見ても明らかであったが、ひばりは周囲猛反対押し切り翌日小倉公演までの約束コンサート強行した2月7日九州厚生年金会館での公演が、ひばりの生涯最後のステージとなった(その映像残されていないが、スタッフ確認用に録音したカセットテープ音源のみ残され、ひばり17回忌2005年CDとして商品化された)。同日、ひばりは車や新幹線での移動に耐えられない衰えていたため、急遽ヘリコプター使用して往復移動となり、会場楽屋入り後ひばりはすぐに横になった酸素吸入と共に医師控え肝硬変悪化からくる食道静脈瘤抱え、いつ倒れて吐血しもおかしくない状態だったという。当時同行した和也は後に「おふくろはもう気力だけで立っていたんだ思いますお医者さんには、間髪入れずに『倒れて出血したらもう終わりです。喉を切開して血を抜かないと、窒息をしちゃいますよ。いつ倒れてもおかしないですからね』と言われてたんで、袖で陣取っていたんですけど、ここの時ほど心細い時はなかった。本当死んだ親父ばあちゃんがいたらな…って思いましたよ」と語っている。開演時間になるとひばりは起き上がりステージへ向かう。廊下からステージに入る間の、わずか数センチ段差1人では乗り越えられなかった。またコンサート中大半がいすに座りながらでの歌唱であった。あまりの体調悪さに元々予定されていた楽曲一部カットした村田英雄無法松の一生など)。息苦しさMCでごまかすひばりだが、翌3月診断される特発性間質性肺炎」の病状進行していた。だが1,100人の観衆前にひばりは、全20無事に歌い終わった2月8日2年前と同じ済生会福岡総合病院検査入院。一旦は退院しマスコミから避けて福岡知人宅に2月下旬まで滞在後、再びヘリコプター帰京したその際東京ヘリポートから自宅までは車で移動であったが、体力が既に限界を超えていた。3月上旬入ってからは自宅静養日々続きツアー断念せざるを得ない状況中でも同年4月17日に自らの故郷である横浜新しく竣工した横浜アリーナこけら落とし公演予定されていた。この舞台に立つことに執念見せるひばりは「私は『横浜アリーナ』の舞台立ちたい。ここでの公演だけは這いずってでもやりたい!」と一方的に譲らず、母の体調案じて公演中止を迫る和也に「ママ舞台で死ねたら本望なの!余計な口出ししない!!」と突っぱねるも、和也は「あんたが死んじゃったら、残された俺は一体どうするんだ!!」と反論するなど、度々口喧嘩をし続けていたという。その口論日々書かれ直筆日記が、今も特番公開されることがあるその頃石井ふく子紹介で、近所診療所医師診察仰いだが、手の指先顔色青ざめたひばりが診療室に入ってきた姿を目の当たりにしたその医師から、ひばりは肺の状態の説明も受け、専門医のいる病院への入院強く勧められた。そして3月9日数時間静養中の自宅訪れた診療所医師から強い説得を受けると、ひばりは椅子腰かけながら真正面向いたまま涙を流し、何かを悟るかのように長い時間沈黙があったという。その沈黙の後、ひばりはついに再入院決断下した3月中旬にひばりは再度検査入院した後で一時退院3月21日にはラジオニッポン放送で『美空ひばり感動この一曲』と題する10時ロングラン特集番組自宅から生出演した。番組終盤には自ら「ひばりに引退有りません。ずっと歌い続けていつの間にかいなくなるのよ」とコメントした。これが結果的に歌以外では、このラジオ出演美空ひばりにとって生涯最後マスメディア仕事となったラジオ生放送終了直後体調急変したため順天堂大学医学部附属順天堂医院に再入院となった

※この「昭和から平成へ・再入院」の解説は、「美空ひばり」の解説の一部です。
「昭和から平成へ・再入院」を含む「美空ひばり」の記事については、「美空ひばり」の概要を参照ください。

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