昭和から平成期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 03:10 UTC 版)
昭和に入り軍事色の強い人形の需要が高まると昭和13年(1938年)には業者数は200数軒にのぼったが、昭和15年(1940年)の奢侈品等製造販売制限規則の施行により人形生産は中止に追い込まれた。 太平洋戦争後、東京の人形業者が戦災により再建が難しい状況となると、岩槻には東京の百貨店からの注文が相次いだ。また、戦火を逃れて岩槻に移住した東京の人形職人の下で技術力のレベルアップが図られ、広告宣伝活動を積極化するなどして販路を全国に拡大させた。昭和60年代には埼玉県の人形製造品出荷額は国内の40パーセントを占めたが、このうち県内出荷額の7割を岩槻が占めるに至った(この他は鴻巣が20パーセント、所沢と越谷がそれぞれ5パーセントずつ)。 平成に入っても岩槻駅周辺には人形店が立ち並び、「人形供養祭」や「流しびな」などの行事が開催されている。年間出荷額は減少傾向にあるとも言われるが、国内や県内では依然として大きなシェアを有している。さいたま市は2020年(令和2年)2月22日、岩槻人形博物館を開館した。
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