旧三上家住宅とは? わかりやすく解説

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旧三上家住宅(京都府宮津市河原)

名称: 旧三上家住宅(京都府宮津市河原
ふりがな きゅうみかみけじゅうたく
名称(棟): 主屋
名称(ふりがな): おもや
番号 2439
種別1: 近世以前民家
国宝重文区分 重要文化財
指定年月日 2003.12.25(平成15.12.25)
員数(数): 1
員数(単位):
代表都道府県 京都府
都道府県 京都府宮津市河原1850
所有者名:
指定基準 (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
管理団体名:
管理団体住所
管理団体指定年月日
構造形式 桁行18.0m、梁間11.1m、一部二階入母屋造
南面東面及び西面庇付、北面取合の間附属桟瓦葺及び鉄板
時代区分 江戸後期
年代 天明3(1783)
解説文: 三上家は,宮津城下の西方にあり,近世には酒造業廻船業,糸問屋等を営んでいた商家である。河原町通り面して屋敷構え,妻入の主屋中心として,南側新座敷,庭座敷連続し北側に釜場と酒造などを配している。
 主屋天明3年(1783)の宮津大火類焼し同年中に建てられた。新座敷文政3年(1820),酒造文政13年(1830),庭座敷天保9年(1838)の建設とわかる。
 商家としては規模大きく主屋加え別棟で建つ接客空間上質なつくりで,酒造や釜場などの施設もよく残り,高い価値がある
 主屋徹底した防火構造採用や隅扇垂木の軒廻りなどに特色があり,建築時の状況普請関係文書から知ることができ,貴重な遺構である。
重要文化財のほかの用語一覧
近世以前(民家):  手塚家住宅  新垣家住宅  旙山家住宅  旧三上家住宅  旧下木家住宅  旧中村家住宅  旧中村家住宅

旧三上家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 13:46 UTC 版)

旧三上家住宅
情報
用途 史跡
旧用途 商家
所在地 京都府宮津市河原1850
座標 北緯35度32分17.2秒 東経135度11分27.8秒 / 北緯35.538111度 東経135.191056度 / 35.538111; 135.191056 (旧三上家住宅)座標: 北緯35度32分17.2秒 東経135度11分27.8秒 / 北緯35.538111度 東経135.191056度 / 35.538111; 135.191056 (旧三上家住宅)
文化財 重要文化財
指定・登録等日 2003年12月25日
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旧三上家住宅(きゅうみかみけじゅうたく)は、京都府宮津市にある史跡

三上家は江戸時代に酒造業廻船業・和糸問屋などを営んでおり、宮津城の城下町有数の商家だった[1]。宮津市内で唯一北前船時代の繁栄を現在に伝えている[2]

歴史

三上家の歴史

銘柄「都小町」の瓶
銘柄「大天橋」の看板

三上宇兵衛の次男である三上勘兵衛は安永5年(1776年)に分家し、宮津城下の現在地に屋敷を構えた[1]天明3年(1783年)2月には城下町を焼いた宮津大火(晒屋火事)で屋敷が焼失したが、同年12月には主屋棟の再建がほぼ完成した[1]。外観は美しい漆喰の白壁の造りである[1]。火事の反省から住宅全体を土蔵同様の耐火構造としている[1]

以後にも三上家が発展するとともに増築や改築を行い、文政3年(1820年)には主屋の南側に新座敷棟を増築し、天保8年(1837年)には庭座敷棟を増築した[1]。天保9年(1838年)に宮津藩を視察に訪れた幕府巡見使を迎えた際には、表門と玄関を増築した[1]慶応4年(1868年山陰道鎮撫総督西園寺公望宮津藩受取りのため、三上家住宅を本陣とした[3]

三上勘兵衛本店は「都小町」「大天橋」などの銘柄で日本酒を作っていた。三上家の酒造業は1975年(昭和50年)まで続いた[4]。近くには享保年間創業とされる袋屋醤油店などもあり、尾藤家11代当主の尾藤庄蔵が取得してからは尾藤家の経営となっている[5]

宮津市取得後

1989年(平成元年)には主屋などが京都府指定有形文化財に指定された[1]。2000年(平成12年)3月17日には庭園が京都府指定名勝に指定された[1]。2003年(平成15年)12月25日には主屋をはじめとする8棟が国の重要文化財に指定された[1]

2017年(平成29年)4月、文化庁により、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリー「日本遺産」の「丹後ちりめん回廊」を構成する文化財のひとつに認定された[6][7]

三上家庭園

敷地の南側には宮津藩御用庭師の江戸金の作庭と伝えられる[8][9]庭園がある[1]。天保8年(1837年)に増築された庭座敷棟からの眺望がよいように設計されている[1]。庭園にある池は細長く伸び、低めの築山には起伏に富んだ石が据えられている[1]。幕府巡見使、西園寺公望、有栖川宮熾仁親王などが当家を訪れて庭園を観賞したとされる[1]。2000年(平成12年)3月17日には庭園が京都府指定名勝に指定された[1]

建物

主屋の内部

2003年(平成15年)12月25日には以下の8棟が国の重要文化財に指定された。

利用案内

  • 開館時間 : 9時から17時
  • 休館日 : 年末年始のみ
  • 入場料 : 一般350円、中学生以下250円

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 天橋立観光協会(旧三上家住宅)”. 天橋立観光協会. 2017年12月25日閲覧。
  2. ^ 『宮津港』 国土交通省(1頁)
  3. ^ 旧三上家住宅”. 京都府観光ガイド. 2018年1月2日閲覧。
  4. ^ 『宮津港』 国土交通省(2頁)
  5. ^ 『丹後人名銘鑑 上』丹後人名銘鑑編集事務所、1917年
  6. ^ 文化庁. “日本遺産認定ストーリー一覧”. 「日本遺産(Japan Heritage)」について. 2020年11月11日閲覧。
  7. ^ 文化庁. “300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊”. 日本遺産ポータルサイト. 2020年11月11日閲覧。
  8. ^ 第一回 丹後宮津”. 京都林泉協会. 2018年1月2日閲覧。
  9. ^ “大小の石を巧みに配置 迫力生む (探訪 京滋の庭)”. 京都新聞. (2001年5月30日). http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/niwa/15.html 2018年1月2日閲覧。 

参考文献

外部リンク



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