新30系新造車(1973年 - 1984年)
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「大阪市交通局30系電車」の記事における「新30系新造車(1973年 - 1984年)」の解説
1973年以降に製造された車両より「新30系」と呼ばれるグループとなる。四つ橋線・谷町線・中央線に投入され、1984年までに83両が製造された。1993年に3043・3543・3597・3595、1995年に3594がそれぞれ廃車となったが、それ以外の車両は1992年から1996年にかけて冷房化・客室改良が実施された。1991年から1995年にかけての大規模な廃車の対象とならずにそれ以後も残存した30系は全てこのグループである。 車体編成番号300033003600370034003500竣工線区M1cM`2eT`TM1M2ecステンレス 3059F 3059 3359 3459 3559 1973.10.16 四つ橋線 3060 1973.10.16 3659 1975.10.22 3060F 3360 3660 3460 3560 1975.11.6 3061F 3061 3361 3661 3461 3561 1975.12.17 アルミ 3044F 3044 3344 3644 3744 3444 3544 1976.5.27 谷町線 3045F 3045 3345 3645 3745 3445 3545 1976.7.18 3046F 3046 3346 3646 3746 3446 3546 1976.9.11 3047F 3047 3347 3647 3747 3447 3547 1976.5.27 3048F 3048 3348 3648 3748 3448 3548 1976.8.16 3049F 3049 3349 3649 3749 3449 3549 1976.5.27 ステンレス 3089F 3089 3389 3689 3789 3489 3589 1977.2.22 3398 3698 1977.2.8 3362 1980.2.15 3363 1980.2.8 3364 1980.1.30 3365 1980.1.23 3366 1979.8.23 3092F 3092 3392 3592 1980.2.15 3093F 3093 3393 3593 1980.2.8 3094F 3094 3394 3594 1981.3.27 3095F 3095 3395 3595 1981.3.11 3099F 3099 3399 3599 1979.6.21 3097F 3097 3597 1984.3.28 中央線 アルミ 3043F 3043 3543 1984.6.27 1973年 3059・3359・3060・3459・3559 最初に製造されたのは、四つ橋線用のスキンステンレス車である3059Fの5両編成で、1973年10月16日竣工であるが、3両目には、本来は先頭車である3060が組み込まれており、暫定的にT車として使用されていた。このため3060の前面には、幌を取り付けた際の痕跡が残っていた。側扉の窓ガラスはこの編成から大型化された。側扉の大きさを除くと1970年以前に製造された車両とほぼ同一仕様である。 1975年 3659 3360・3660・3460・3560 3061F この製造分より同時期の10系に準じて、外観、電笛の設置、座席改良(モケット張りに変更)など大幅な設計変更がみられる。貫通路妻引き戸も全箇所に設置され、暖房装置も取り付けられている。10月から11月にかけて、まず3659が製造されて3060と差し替え、3060は新たに製造された4両と連結の上で先頭車に復帰、さらに3061Fが製造されて新30系は3本となった。ステンレス車では10月製造の3659から工作の簡易化のために外板の継ぎ目を突き合わせで溶接されていたのが重ね合わせのみとなり、スミ柱の形状と雨どいが変更された。また、地下鉄車両へのラインカラーの採用により、窓下には路線別のラインカラー帯が入れられ、前面貫通扉もラインカラー塗装がされるようになった。前面・側面の車両番号板も銀色地に黒文字となり、これまでの30系とは異なる外観となった。 1976年 3044F - 3049F 谷町線用アルミ車として3044F - 3049Fの6両編成6本が製造される。アルミ車ではこの製造分から構体に大形アルミ押し出し材を使用し、10系同様に車体軒けた上端に丸みが付加された。また一部の側窓には、試験的に乗務員室から一斉に操作できる自動開閉機構が取り付けられた。前面・側面の車両番号は車体に直接黒文字で書かれるようになった。ドアの車内側は他車がアルミ・ステンレス地肌剥き出しとは異なり化粧板貼りとされた。 1977年 3089F 3398・3698 スキンステンレス車の3089Fと、御堂筋線のC編成である3098F(元7008F)を谷町線に転用して6両編成化するために3398・3698が製造され、谷町線に8本の30系が配置されて1977年の谷町線(2号線)守口延長に備えた。この時3099F(廃車時3066F)は、検修作業時の予備車となる。 1979年 3366 3092・3392・3592 3093・3393・3593 3099 II・3399 ・3599 II II:2代目となる車両 10系の御堂筋線投入と、四つ橋線の30系への使用車両統一・谷町線の八尾南開業に備え、御堂筋線C編成のうち予備車だった3099Fの四つ橋線転出で5両化のため3366を1両製造し、御堂筋線スキンステンレス車の3003F - 3005Fの8両3本の四つ橋線転出に際し5両化で余剰となる車両を谷町線で使用するため、3000・3300・3500形を3両ずつ製造した。この増備車から荷物棚がパイプからステンレス網に変更された。 1980年 3362 - 3365 御堂筋線C編成のうち3094F - 3097Fの四つ橋線転出で5両化のため3300形を4両製造。 1981年 3094 II・3394 ・3594 II 3095 II・3395 ・3595 II II:2代目となる車両 御堂筋線スキンステンレス車の3006F・3007F中間車3両の谷町線転出で3000・3300・3500形を2両ずつ製造した。1980年導入車両までと比べて側扉の窓枠が異なっている。 1984年 3043・3543・3097・3597 御堂筋線に残っていたスキンステンレス車3001・3002Fと、アルミ車の3008 - 3010Fが1982年から1984年にかけて中央線に転属する事になり、8両編成の中間2両を抜くことで6両編成化されたが、余った中間車8両(3101・3201・3102・3202・3108・3208・3109・3209)についても、中央線3043F・3097F用に4両の先頭車を最終増備車として投入した。アルミ車3043・3543がアルナ工機、ステンレス車3097・3597が近畿車輛の製造である。アルミ車編成の3043Fは、先頭の2両が新30系の車体形状であるのに対し、中間車が初期製造の30系であるため、外観の統一感を欠いていた。なお、これら4両の方向幕は電動式で、方向幕操作器は10系原形車、20系原形車と同じタイプであった。
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