救援車
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 02:23 UTC 版)
スエ38形 - 1969年 (8)大宮工場でカニ38形から改造された救援車。 改造後は佐倉客貨車区に配置されて待機していたが、同区廃止に伴い1981年に廃車され、解体処分されている。 なお、該当車両は1両 (8) のみ。他に7両 (1 - 7) が存在したがオハ31系に属する。 国鉄オハ31系客車#救援車のスエ38形の項目も参照。
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救援車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:44 UTC 版)
スエ30形11953年の車両称号規程の改正でオヤ9920形(オヤ9920)を改称した車両。 旧形式の「オヤ9920」は本来雑形の木製3軸ボギー車に与えられる番号であるが、これは書類上の種車を示すものであり、実際には現車の状態が悪かったために非公式に振替が行われており、実際の種車とは一致しない。 1947年に国鉄長野工場でスニ9750形(スニ9755)を改造して救援車とすることとなったが、実際の改造にあたっては前年に事故廃車となったオハ34 45(元スハネ30100形→スハネ31形)の車体の状態が良かったことから、こちらが種車とされた。 車歴上のルーツはともかく、実際にはスハネ30100形として製造された車両であるため、長形台枠を備え、丸屋根でリベットの少ない車体でTR23台車を装着するなど、スハ32系丸屋根車としての特徴を明確に備えていた。 1953年の称号改正で雑形客車としての旧形式から改称される際に、本来のスハ32系としての形式ではなく一世代古いオハ31系としての形式が与えられた理由は不明である。 1968年10月に廃車された。 2以降長野、幡生、大船、多度津、盛岡、小倉、大宮、名古屋、土崎、旭川、高砂、鹿児島、五稜郭の各国鉄工場で改造。 一部窓が埋められたり、ベンチレーターが撤去された車両もあった。 2・3・5 - 71960年から1961年にかけてスユ30 5・14・21・26・27を改造した車両。1987年(昭和62年)2月に2が廃車され区分消滅した。 4・14・15・20 - 25・46・59・601960年から1967年にかけてスユニ30 1 - 4・7・11・12・17・18・20を改造した車両。46はスユニ30 21を再改造した。1987年2月に15が廃車され区分消滅した。 8 - 13・16 - 19・26 - 39・42 - 45・47・48・50・51・55・57・581960年から1964年にかけてスニ30 8・11・17・19・29・31・41・44・49・50 - 52・56 - 58・61・64 - 66・71・73・76・79・80・82・88・90・94・95・104 - 107・109を改造した車両。29はスニ30 109を再改造した。 44はオハニ30形から改造された52と振り替えられていた。48はマニ36 303と振り替えられ車体長が20mの切妻形となっていたため、車歴上は別として実車は本系列には属さない。 1987年2月10日付で9が廃車され区分消滅した。 40・41・49・52 - 541962年から1964年にかけてオハニ30 5・15・19・29・48・49を改造した車両。1986年(昭和61年)3月に41が廃車され区分消滅。 561964年にオハ31 198を改造した車両。1975年12月に廃車。 62 1967年にオル31 41を再改造した車両。1982年(昭和57年)11月に廃車。 スエ38形大宮、旭川、新小岩の各国鉄工場で改造。 外観は種車とほぼ同じだが、妻面に窓を増設、あるいは貫通扉を鉄板で塞いで非貫通形とした車両もあった。 1 - 41962年から1963年にかけてカニ29 11 - 13・16を改造した車両。1980年(昭和55年)12月に3が廃車され区分消滅した。 5 - 71963年から1964年にかけてカニ29形(20番台)を再改造した車両。1982年3月に7が廃車され区分消滅した。 8国鉄10系客車#救援車のスエ38形の項目参照。
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