救援船の到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:38 UTC 版)
南行き隊が出て不在の間に、救援船SYモーニングが到着し、新鮮な食料をもたらした。この遠征隊を編成した者は、1903年初期にもディスカバリーが氷を離れ、次の冬が来る前にスコットは海洋の探検や調査ができるものと考えていた。3月あるいは4月にニュージーランドに帰還し、その後は太平洋を通ってイングランドまで、磁気の調査を続けながら帰ってくると考えていた。モーニングはこの期間にスコットが必要とする支援を行えると見ていた。 この計画はディスカバリーが氷の中にしっかりと留まっていたので狂ってきた。マーカムはこれを個人的には予測しており、モーニングの艦長ウィリアム・コルベックがスコット宛の秘密の手紙を携えており、その中でスコットにもう1年氷の中で過ごすことを認めていた。再度の越冬は避けられない情勢であり、救援船は隊員の中から帰国する者に機会を提供することになった。その中には病み上がりのシャクルトンがおり、シャクルトンは抵抗したが、スコットが「彼の現在の健康状態ではこれ以上の困難さを経験すべきではない」と判断した。スコットとシャクルトンの間の不和はこの時点からあるいは南行きの間の仲違いから激しい言葉の応酬になったときに始まったと考えられた。それらの詳細はアーミテージからもある程度伝えられている。アーミテージもスコットとの関係が破綻しており、スコット、ウィルソン、シャクルトンが全て死んだ後に、その詳細を明らかにし、その中でスコットのことをあまりよく言っていない。その他の証言では、スコットとシャクルトンの間が暫くの間概して良好だったことを示している。シャクルトンは遠征隊が1904年に帰国した時に会っており、後に大変心のこもった手紙をスコットに送っていた。
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