政治活動の再開
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「アウンサンスーチー」の記事における「政治活動の再開」の解説
2010年1月21日、軍事政権のマウン・ウ内相が地方の会合でアウンサンスーチーについて「軟禁期限となる11月に解放される」と述べていたことが判明し、11月13日に軟禁を解除された。政治活動の再開を進めるアウンサンスーチーに対し、政府は2011年6月28日に活動停止を通告。7月25日、8月12日に政府側と会談し、国家の発展のため協力していくことで合意したが、これには懐疑的な見方もある。8月14日に地方都市での政治活動を再開させた。2012年4月1日に行われたミャンマー連邦議会補欠選挙にNLDより立候補 し、当選を果たす。しかし軍事政権が定めた憲法に反対する立場から、議員就任の際に求められる憲法遵守の宣誓を拒否することを理由に、4月23日の初登院に応じず宣誓内容の修正を求めた。その後方針転換し、5月2日に正式に議員に就任。6月、国民代表院法の支配・平和安定委員会委員長に就任。 2012年1月10日、NLD中央執行委員会議長に選出。1月13日、ニコラ・サルコジフランス大統領が、レジオンドヌール勲章コマンドゥール(3等)の授与を電話で伝える。1月25日、アースィフ・アリー・ザルダーリーパキスタン大統領よりベナジル・ブット賞を授与される。2月10日、国際連合教育科学文化機関が、2002年に授与が決定していたマダンジート・シン賞を授与する。11月、インドを訪問し、1993年に受賞が決定していたネール賞の受賞演説などを行う。2月15日香港大学から名誉法学博士号を受ける。6月、24年ぶりにヨーロッパ諸国を歴訪し、同月27日にパリ市名誉市民の称号を受け、フランス語で講演を行った。 2013年2月1日、ソウル市冠岳区のソウル大学校文化館でソウル大学校名誉教育学博士号を授与された。同日に行われた宋永吉仁川広域市長との会談で、日本の慰安婦問題について、日本統治時代のビルマで日本帝国主義への抵抗運動を主導した父アウンサンの「誰にでも長所と短所がある」との言葉を引用し、「過ちは誰にでもあるが、過ちを認めることをためらうことこそ本当の過ち」とし、問題を否定する日本の姿勢を批判した。 4月13日、27年ぶりに来日。在日ミャンマー人や、京都滞在中に家族ぐるみの付き合いをしていた日本人との懇談や、経済界へのミャンマーへの支援の呼びかけ、安倍晋三首相などの日本政府要人との会談を行う。京都大学では、京都大学名誉フェローの称号を新設して、4月15日の講演時にこれを授与した。同日、日本滞在時から親交の深い大津定美教授夫妻がかつて教鞭をとっていた龍谷大学で講演を行い、龍谷大学名誉博士号を授与された。講演では、仏教の慈悲に基づく非暴力民主化運動を行う必要があると論じ、「仏教の教えを心に置きながら変革を進めないといけない」と述べた。 9月12日、ポーランドでレフ・ヴァウェンサ初代大統領と昼食をともにし、外国人として2人目のワルシャワ名誉市民の称号を受ける。10月にイタリアに訪問し、ローマ教皇フランシスコと面会。10月27日、1994年に授与が決定されたものの20年間受け取ることのできなかったローマ名誉市民の称号を、ローマ市庁舎で開かれた記念式典で受けた。その後、ボローニャ名誉市民の称号も授与された。
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