攘夷委任と攘夷期日とは? わかりやすく解説

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攘夷委任と攘夷期日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 17:00 UTC 版)

八月十八日の政変」の記事における「攘夷委任と攘夷期日」の解説

将軍徳川家茂は3千の兵を率いて文久3年3月4日着京した。3代徳川家光以来229年ぶりの将軍上洛である。 翌日将軍後見職一橋慶喜参内し、「これまで将軍一切委任されていたことではあるが、(確認的に)今一度委任くだされば天下号令して攘夷行いたい」と勅諚求めた慶喜徹夜粘り孝明天皇は「従来どおり庶政幕府委任するつもりである。攘夷実行に励むように」と答えたが、慶喜はさらに関白求めて文書化したもの得た。 ところが、将軍7日参内しあらため受け取った勅書は、征夷大将軍のことは従来どおり委任するが、国事については直接諸藩命じ場合もあると書かれていた。これでは征夷将軍儀」はその文字どおり職掌である征夷攘夷)に限られ他の国政の最終決定権朝廷あるようにも解され幕府への庶政委任骨抜きにされた格好であった。だが、とにかく何をもって攘夷としそれをどう行うかはその裁量委ねられた。それだけでも幕府にとって意味はあった。 3月11日長州藩世子毛利元徳(定広)の進言によって攘夷成功祈願賀茂行幸があり、関白以下の廷臣加え将軍家茂、慶喜在京諸大名徒歩随行した江戸時代天皇は、観念的に将軍の上にあっても、実際さまざまな面で幕府支配受けていた。その関係が逆転したことを可視化し、攘夷祈願する天皇将軍諸大名随従する様を天下に示すデモンストレーションであったその3日後、島津久光京都入った前年12月松平春嶽から上洛求められていたのを受けてのことで、山内容堂加えた3人で公武合体実現努めることになっていた。幕府もこれに形勢逆転期待をかけていたが、当の久光急進派追い落としに手を尽くすも成功せず早々18日帰国してしまう。春嶽はもはやこれまで将軍職返上勧めて自らも政事総裁職辞任申し出承認待たず21日に、容堂も26日帰国する。もはや京都は入説で工作できる状況にはなく、実力をもって局面転換を図らなければならなかった。帰国後、越前藩次の行動準備取り掛かり土佐藩では長州通じる藩内の過激尊攘派から容堂が実権奪回すべく動き出す。ただ薩摩藩は、次の段階に進む前に生麦事件賠償交渉という難事控えていた。 将軍家茂も再三にわたり東帰を願い出たが、イギリス艦隊大坂湾襲来するという噂もあってことごとく差し止められ4月11日石清水行幸迎えた。ここで予定されていたのは軍神とされる八幡宮神前将軍節刀賜うパフォーマンスで、これは兵権委ねて朝敵征伐命じることを意味した。だが、天皇自身はこの行幸望んでいなかった。過激派跋扈苦悩する天皇体調崩して行幸延期求めたが、議奏三条実美仮病ではないか疑い本当だとしても延期できない主張した。さらに国事参政国事寄人らは天皇不承知でも鳳輦押し込めようとしたため天皇もついに延期諦めざるを得なかった。慶喜将軍には病気理由供奉させず、自身名代として男山の麓まで行ったところでにわかに眼病発したと言って引き返した欠席激した攘夷派から慶喜天誅脅迫相次いで受けることになった4月16日長州藩主毛利敬親勅命によって攘夷期日交付するよう奏請これまで朝廷将軍江戸帰さないため、慶喜約束した将軍東帰後20日という期限も自然先送りになっていた。しかし、将軍18日参内して視察のための下坂慶喜東帰を願い出たところ、期限決定布告迫られ幕府はとうとう5月10日期限とする旨奉答する至った。そして4月23日幕府諸藩へ「攘夷の儀、五月十日拒絶に及ぶべき段御達相成り候間、銘々右の心得を以て自国海岸防禦筋いよいよ以て厳重相備へ、襲来候節は掃攘致し候様致さるべく候」と布達した。

※この「攘夷委任と攘夷期日」の解説は、「八月十八日の政変」の解説の一部です。
「攘夷委任と攘夷期日」を含む「八月十八日の政変」の記事については、「八月十八日の政変」の概要を参照ください。

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