戦後の運行展開
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1953年(昭和28年)3月15日:門司港駅 - 長崎駅間を佐世保線・大村線経由で運行する臨時準急列車3107・3108 列車が運行開始。この列車は、門司港駅 - 鳥栖駅間を熊本駅発着の準急407・408列車と併結運転であるが、同年11月11日には定期列車化された。 1954年(昭和29年)10月1日:3107・3108 列車は、準急407・408列車として全区間単独で運行される。 1956年(昭和31年)11月19日:従来、広島駅 - 門司駅間を運行していた山陽本線準急3207・3208列車が延長され、407・408列車と博多駅を介して直通運転が実施。これにより、広島駅 - 長崎駅間の列車番号も405・406列車に変更される。 1957年(昭和32年)10月1日:気動車による快速列車「弓張(ゆみはり)」が博多駅 - 佐世保駅間で運行開始。 1959年(昭和34年)9月22日:「弓張」が準急列車に変更。また、405・406列車にも「ふたば」の愛称が与えられる。 1960年(昭和35年)5月1日:以下のように運行体系が変更される。「弓張」は下り2本・上り1本を増発し、下り3本・上り2本になる。 長崎本線肥前鹿島駅経由の準急列車「ながさき」が新設され、「弓張」は肥前山口駅で増解結が実施される。 「ながさき」・「弓張」の補助列車として博多駅 - 長崎駅間(大村線経由)で準急列車「出島(でじま)」が運行開始。 「ふたば」の運転区間が広島駅 - 博多駅間に短縮。以降は山陽本線優等列車沿革を参照。 1961年(昭和36年)10月1日:サンロクトオのダイヤ改正により「弓張」1往復が門司港駅発着になる。 1962年(昭和37年)10月1日:「弓張」が1往復増発。門司港駅発着列車が小倉駅発着に変更。 1963年(昭和38年)6月1日:下記の通り分割する形で「出島」が廃止。従来、博多駅 - 佐世保駅間を筑肥線・松浦線経由運行していた「九十九島」(くじゅうくしま)の運転区間が延長され、博多駅 - 長崎駅間(筑肥線・松浦線・大村線経由)の準急列車になる。 「弓張」が上り1本増発され、4往復になる。 1964年(昭和39年)4月10日:急行列車「西九州(にしきゅうしゅう)」が別府駅 - 長崎駅・佐世保駅間(久大本線経由)で運行開始。 1965年(昭和40年)10月1日:このときのダイヤ改正に伴い、以下のように変更。従来、新大阪駅 - 熊本駅・大分駅間で運行していた特急「みどり」のうち、熊本駅発着編成(博多駅経由)を佐世保駅発着(筑豊本線・原田駅経由)に変更。 「ながさき」「弓張」のうち1往復が熊本駅 - 博多駅間(日豊本線・豊肥本線経由、ただし博多行きは三角線三角発)の急行「くさせんり」と統合し、熊本駅(三角駅) - 別府駅 - 博多駅 - 長崎駅・佐世保駅間の急行列車「九重(くじゅう)」とする(ただし佐世保駅発着編成は別府駅で増解結)。これにより「弓張」は3往復になる。 1966年(昭和41年)3月5日:準急行制度の見直しに伴い「弓張」が急行列車に格上げ。 3月25日:以下のように変更される。これまで呉駅 - 長崎駅間を運行していた「出島」に佐世保駅発着の編成を連結開始。 急行「からつ」が博多駅 - 佐世保駅間(筑肥線・松浦線・佐世保線有田駅経由)で運転開始。「からつ」の運転区間中、博多駅 - 伊万里駅間は「九十九島」と連結運転するが、編成としては「九十九島」にない一等車(現在のグリーン車)を設定するなど「弓張」の補助列車格とされていた。 「からつ」は東唐津駅(現在の東唐津駅は移転して別の場所にある)・有田駅・早岐駅の3駅でスイッチバックを行っていたが(「弓張」は早岐駅のみ)、所要時間は「弓張」と比べても遜色ないものだった。ただし「からつ」という列車名が影響して、全区間を通しての乗客は少なかったとされる 1967年(昭和42年)10月1日:ダイヤ改正にともない以下のように変更する。「みどり」が寝台電車581系による運用に変更。これにより従来の「みどり」の佐世保駅発着編成を引き継ぐ形で、大阪駅 - 宮崎駅間運行の特急「いそかぜ」のうち、大分駅で増解結していた編成を筑豊本線・原田駅経由の佐世保駅発着に変更。 「九重」の運転系統を別府駅で分割し、別府駅 - 博多駅 - 長崎駅・佐世保駅間を運行する急行列車に「べっぷ」の名称が与えられる。 「からつ」が廃止。 1968年(昭和43年)10月1日:ヨンサントオのダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。従来、京都駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)・長崎駅間で運行していた特急「かもめ」の長崎駅発着編成と、「いそかぜ」の佐世保駅発着編成を統合し、京都駅 - 長崎駅(博多駅経由)・佐世保駅(筑豊本線・原田駅経由)間運行の特急「かもめ」とする(両編成は京都駅 - 小倉駅間で併結運転)。黒崎駅 - 原田駅間は筑豊本線経由 (60.5km) であると鹿児島本線経由 (70.8km) に比べると営業キロで10.3km程度短縮されることや筑豊地域とりわけ現在の飯塚都市圏への便を図るためとされているが、小倉駅 - 肥前山口駅間では同じ列車名でありながら行き先・経由地の違う列車が平行して運行される事態となった。 なお、従来の「かもめ」の西鹿児島駅発着編成は特急「なは」、「いそかぜ」の宮崎駅発着編成は特急「日向」にそれぞれ列車名を変更し、大阪駅 - 小倉駅間で連結運転を行った。 「べっぷ」の別府行きのみ系統分割を行う。これにより「弓張」は大分発下り1本を含む4往復となる。 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線博多駅乗り入れに伴うダイヤ改正に伴い、以下のように変更する。山陽新幹線全通に伴い、山陽本線昼行特急・急行列車群は新幹線列車に代替することとなり、本州直通の「かもめ」・「出島」は廃止。 新幹線接続列車として「弓張」を4往復増発。小倉駅発着2往復を含む8往復で運行を行う。全列車で長崎駅発着の「出島」と小倉駅・博多駅 - 肥前山口駅間で連結運転(ただし下り1本は佐賀駅で分割)を行っていた。なお「出島」のうち1往復は佐賀線経由の急行「ちくご」とも連結運転を行っていたが、下り列車では佐賀駅で「弓張」の分割と「ちくご」の連結、上り列車では肥前山口駅で「弓張」の連結と「ちくご」の分割を同時に行っていたため、「弓張」と「ちくご」の連結運転はなかった。
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