戦後の都市の爆発的拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 19:00 UTC 版)
第二次世界大戦後、空襲を受けた都市の住民や海外からの引揚者が従来の市街の外側に家を建てて住んだ。高度経済成長期には人口は大都市に集中し、従来の都市範囲には収容不可能になり、一方で大気汚染や交通渋滞が深刻になっている。このため、地方からの移住者や大都市から脱出した住民は、鉄道で都心に通勤できる郊外に住むようになった。大都市は鉄道沿いに無秩序に拡大を始め、狭くて低質な住宅が沿線に広がった。 東京や大阪では戦後まもなく、郊外拡大を見越して都市圏を取り巻くグリーンベルトを構想していたが、地権者たちの反対などで葬り去られてしまった。ただし、無秩序な開発を食い止めるため、国や自治体により1960年代の千里ニュータウンや1970年代の多摩ニュータウンなど大規模ニュータウンが郊外の緑の多い丘陵地帯に造成され、緑地の整備されたよく計画された街区を形成したが、実態は都心に通勤するためのベッドタウンであり、ニュータウンが自立するための企業誘致や、住民コミュニティ作りは最小限にとどまった。 テレビで放送される緑豊かな郊外の自家用車付きの一戸建てを舞台にしたアメリカ製ドラマは日本人に大きな影響を与えた。終戦後に生まれ育った団塊の世代が大都市に就職し家庭を持つに伴い、アメリカをモデルにした核家族像が生まれ、そうした家族をターゲットにした団地や一戸建てなど郊外住宅地が大量に開発され、多くの人々が一戸建てを求め都心から離れた住宅地を購入した。
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