戦後のすしとは? わかりやすく解説

戦後のすし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 12:37 UTC 版)

江戸前寿司」の記事における「戦後のすし」の解説

第二次世界大戦直後厳し食料統制のさなか、1947年昭和22年7月飲食営業緊急措置令ポツダム命令)が施行され、同令が廃止される1949年昭和24年4月まですし店表立って営業できなくなった東京ではすし店組合有志交渉立ちあがり、1合の米と握りずし10個(巻きずしなら4本)を交換する委託加工として、正式に営業認めさせたのである職人営業を守るため上方をはじめ全国でこれに倣い一時期全国すし店といえば江戸前ずし一色となったちなみに1合で10個の握りずしならかなり大きな握りいわゆる「大握り」、江戸 - 明治初期思わせる大きさである。ただし、1合全て使ったわけではないまた、戦後物資不足と黄変米事件によって粕酢一般的ではなくなり、米酢使った寿司酢一般的になった。これ以降握り寿司全国的に評判になっていった。 戦後高度成長期に入ると、衛生上の理由から屋台店無くなり廉価なすし店もあるものの、すし屋高級な料理屋部類落ち着いた一方1958年昭和33年)に大阪回転寿司店廻る元禄ずし」が開店し廉価な持ち帰りずし店「京樽」や「小僧寿し」も開業1980年昭和55年)頃には回転ずし屋も持ち帰りすし店全国普及寿司屋庶民性を取り戻していった。 既に1910年明治43年華屋與兵衛の子孫、小泉清三郎著『家庭のつけかた』には、ハム(またはコールドミート)を使ってコショウをふった巻きずしがあり、江戸前ずし早ずし)は様々な材料受け入れやすい素地があった。1970年代アメリカ西海岸中心に、すしは一大ブームとなり、その中で生まれたカリフォルニアロール」は大いヒットして日本にも逆輸入された。1975年昭和50年)『すし技術教科書』の「新しいすしダネとすし」には、キャビアセップロブスター納豆じゅんさいシイタケなど、100種類にもなる新し寿司ダネ紹介されている。現代寿司店では、ありとあらゆる食材がすしとして提供される一方粕酢など古典的な材料手法を守る店もある。2002年平成14年)に半田市開催の「はんだ山車まつり」で粕酢使い当時大きさ握った寿司復元され尾州早すし」と名付けられた。

※この「戦後のすし」の解説は、「江戸前寿司」の解説の一部です。
「戦後のすし」を含む「江戸前寿司」の記事については、「江戸前寿司」の概要を参照ください。

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