戦後のエジプト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 02:11 UTC 版)
イギリスはエジプトを保護国化したが、1922年の独立以降も、エジプトの内政に干渉した。それは、1952年のエジプトで起きたエジプト革命まで続いた。イギリスとヘディーヴ政権は、ウラービーに対して反乱者のレッテルを貼ったが、民衆の間では、ウラービーはエジプトを植民地支配から解放してくれる英雄という印象を持ち続けた。 ウラービーの評価は、エジプトにおける最初の反植民地運動ということでエジプトの歴史における評価はほぼ固まっている。とりわけ、ナーセル政権時代には、ウラービー革命は外国の不当な占拠に対して闘った輝かしい業績という評価が下されていた。また、1950年代後半になるとウラービー革命の評価は、エジプト一国のみならず、パン・アラブ主義の台頭と相俟って、帝国主義に対するアラブ世界の抵抗の1つとしての位置づけがなされていった。
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