戦後のオペル化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 01:28 UTC 版)
第二次世界大戦後のボクスホールは、終戦翌年の1946年から乗用車生産を再開したが、以後1960年代初頭までのモデルは、1.5リッター級4気筒と2.3〜2.6リッター級6気筒の2系統に絞られた。何れもアメリカ車の影響著しい若干派手目のデザインと、保守堅実なメカニズムとを兼ね備えた、当時のイギリスにおける典型的な実用車であった。しかしブリティッシュ・フォードやBMCなど上位メーカーの台頭に押され、メーカーとしての存在感の薄さは否めない傾向にあった。 イギリス国内の大衆車市場において、ミニやフォード・アングリアに対抗しうる最量販モデルとなる1リッタークラスの小型車が、ボクスホールには長年にわたって欠落していた。これを補うため、1963年からは1056ccの小型車「ヴィーヴァ」を生産開始したが、これは同じGM傘下のドイツのオペルが前年から生産していた小型車「カデット」に若干改変を加えただけのモデルであった。これをきっかけに、GMは国際的な生産モデル共通化の傾向を強め、ヨーロッパ市場では生産台数が一番大きく開発能力が高かったオペルを開発拠点とするようになる。 1970年以降はオペル追随の動きが顕著になり、ボクスホールの完全な自社開発モデルは全てのカテゴリーにおいて消滅した。オペル車との共通化はボディシェルの共用化から始まり、徐々に内外の全体的な共通化が進められ、1990年代には車種名も統一され(ただし、オペル・スピードスター/ボクスホール・VX220のような例外もある)、現在は実質的にオペルのイギリス向けバッジ・エンジニアリングの状態となっている。 同じくGM傘下にあった日本のいすゞ自動車のSUV、ロデオ/ミューや、商用車のファーゴ、GMと提携関係にあったスズキの軽トラック、キャリイをベッドフォードブランドで販売していたことがある。
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