戦後のカリプソ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 21:18 UTC 版)
「カリプソ (音楽)」の記事における「戦後のカリプソ」の解説
1940年代後半、第二次世界大戦終了後、多くのカリビアンが職を求めて国外に出た。イギリス領であったトリニダード人はイギリスに向かったのだが、ロード・キチナー(Lord Kitchener)もその一人だった。彼はイギリスのカリビアンのコミュニティで絶大な人気を誇り、1950年代にはイギリスでもカリプソブームが起る。ロード・キチナーは、2000年に亡くなるまでヒット作を量産した。 最もよく知られているカリプソの曲は、伝統的なジャマイカのメントソング「バナナ・ボート」である。この曲は1956年のジャマイカ系アメリカ人のハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)の歌で知られる。カリプソ風にアレンジされ、100万枚以上のセールスを記録する。 また、1956年はグレナダ出身のマイティ・スパロウ(Mighty Sparrow)も「ジーンとダイナ」という曲でデビューして、国際的なヒットとなる。彼は「ケネディ・アンド・クルシュセフ(フルシチョフ)」「マーティン・ルーサー・キング」「カストロ・イーティング・バナナ」「ザ・スレイヴ」などの政治的なカリプソも歌った。また、カーニバルの行進に使用されるような伴奏曲であったカリプソを、よりシンプルで力のあるリズムにして、それにソウルフルな歌声を乗せた。彼の登場もあって、1962年のトリニダード独立以降は、カーニバルも派手なものになり、演奏されるカリプソもダンサブルなものに変化した。 カリプソのスタイルがよりダンサブルな傾向を増してきたのは、マイティ・スパロウの登場が大きく寄与している。しかし一方で、第二次世界大戦で大量に放置されたドラム缶を用いたスティールパンが登場し、より大規模なスティール・バンドが活躍しはじめたのも時期を同じくしている。さらに1970年代には、ドラムマシンやシンセサイザーが導入された。これらの要因によって、1980年代のソカ(ソウルとカリプソを合わせた言葉)への道筋が作られた、と考えられる。 詳細は「ソカ」を参照
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