戦後のオランダ政府による賠償請求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 17:59 UTC 版)
「オプテンノール (船)」の記事における「戦後のオランダ政府による賠償請求」の解説
終戦直後の1945年9月10日、オランダ政府は日本政府に対し、オプテンノールの消息を照会した。これに対し、戦犯問題に発展することを恐れた旧日本海軍は、オプテンノールが抑留中の1944年に舞鶴出航後に行方不明となっているとの虚偽の回答を行い、代船の提供を申し出た。 その後、一旦はオランダ政府からの追及が途絶えたが、サンフランシスコ講和条約締結後の1953年(昭和28年)に、再びオプテンノールを話題に取り上げ、国際法上保護される病院船を不法に拿捕・沈没させたものとして船体の返還や損害賠償を請求してきた。 これに対し日本政府は、オプテンノールが拘束されたのは日本の作戦行動を妨害する戦時国際法違反行為に及んだため、病院船としての保護を受ける資格を喪失して抑留されたのであり、日本側の行為は違法性が無いと主張した。 長期の交渉の結果、1978年(昭和53年)に、日本政府が見舞金1億円を自発的に支払う代わり、オランダ政府は船の残骸等についての所有権が日本に帰属することおよび以後は一切の請求を行わないことを確認する協定が締結されて解決した。
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