戦列歩兵
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マスケット銃と銃剣で武装し、戦列(横隊など)を組んで戦闘を行う歩兵である。近世ヨーロッパにおいて極端に発展し、戦闘における主役となったが、銃や砲の性能の向上にしたがって姿を消した。
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戦列歩兵
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「大陸軍 (フランス)」の記事における「戦列歩兵」の解説
戦列歩兵は大陸軍の大部分を占めていた。1803年、ナポレオンは連隊という言葉を復権させた。フランス革命中のことば半旅団(demi-brigade、2個で1個旅団となり王立という意味合いがなかった事実による)は、暫定的な部隊や補助部隊にのみ使われるようになった。大陸軍の創設時、89個戦列歩兵連隊(Régiments de Ligne)があったが、この数はフランスの県の数であった。最終的には156個連隊となった。 戦列歩兵連隊はナポレオン戦争中にその規模が変わったが、基本的な構成要素は大隊であった。1個歩兵大隊は約840名であり、これが大隊の定員となり、ほとんどどの隊も変わらなかった。ほかに400名から600名の大隊もあった。1800年から1803年にかけては、戦列歩兵大隊には8個フュジリエ中隊と1個擲弾兵中隊が所属していた。1804年から1807年にかけては、7個フュジリエ中隊と1個擲弾兵中隊、1個選抜歩兵(Voltigeur)中隊が所属していた。1804年から1807年にかけては、4個フュジリエ中隊と1個擲弾兵中隊、1個選抜歩兵中隊が所属していた。 小銃兵 フュジリエ(火打石銃兵)は歩兵大隊の大部分を占めており、大陸軍の典型的な歩兵と考えてよい。武器はシャルルヴィル1777年型マスケット銃と銃剣であった。訓練は行軍速度と持続時間に重点が置かれ、接近戦や白兵戦での個々に狙いを定めた射撃が続いた。このことはヨーロッパの敵国の大多数と異なるところであり、他国ではきちんとした隊形で動き一斉射撃を行うことに重点が置かれた。 ナポレオン戦争初期のフランス軍の勝利は、長い距離を素早く移動できる能力にあり、その能力は歩兵に課された訓練の賜物だった。1803年から1個大隊は8個フュジリエ中隊となり、1個中隊はおよそ120名であった。1805年にフュジリエ中隊の1つを改組して1個選抜歩兵中隊を創設した。1808年、ナポレオンは歩兵大隊を9個中隊から6個中隊に変えた。新しい中隊は構成員の数が140名となり、このうち4個はフュジリエ中隊、1個は擲弾兵中隊、残る1個は選抜歩兵中隊であった。 帽子は二角帽子であり、1807年に円筒帽に変わった。制服は白のズボン、白の外衣と濃青の上着(1812年まではハビットロング、その後はハビットベスト)に白の襟章を着け、赤の襟と袖口であった。帽子には色のついたポンポンを着けていた。このポンポンの色は中隊毎に異なっていた。1808年以後の編成替えで、第1中隊は濃緑のポンポン、第2中隊は空色の、第3中隊は橙色の、第4中隊はすみれ色のポンポンという按配だった。 擲弾兵 擲弾兵はナポレオン戦列歩兵の精鋭であり、敵に打撃を与える部隊として古参兵で占められた。新しく作られた大隊には擲弾兵中隊が無かった。ナポレオンは、2回の方面作戦に参加させた後に最強で勇敢で背の高いフュジリエを擲弾兵中隊に昇格させ、大隊の中には2個以上の擲弾兵中隊ができたものもあった。 擲弾兵の新兵の条件は連隊の中でも背が高く恐ろしげであり、しかも口ひげを生やしているということになった。これに加えて帽子が熊毛になり上着には赤の肩章を着けた。1807年以後熊毛帽は赤い線と赤の羽毛のついた円筒帽に置き換えられた。しかし多くの者が熊毛帽を好んだ。標準のシャルルヴィル1777年型マスケット銃と銃剣に加えて擲弾兵は短いサーベルを帯びた。これは接近戦で使うためであるが、焚き火の木を切る道具となってしまった。 擲弾兵中隊は通常最も伝統的栄誉ある場所として隊列の右端に位置した。作戦行動中、擲弾兵中隊は擲弾兵大隊を形成したり、時には連隊や旅団を形成することもあった。この配置はより大きな戦闘隊形の前衛に置かれた。 選抜歩兵(Voltigeurs、意味合いからは飛び上がる者) 選抜歩兵選抜歩兵は戦列連隊のエリート軽歩兵であった。1805年、ナポレオンは戦列大隊の中で背は小さいが敏捷な者を選んで選抜歩兵中隊を作るよう命じた。この中隊は大隊の階層の中では擲弾兵中隊に次ぐものである。その名前はもともとの使命からきている。選抜歩兵中隊は敵の騎兵に対し馬に飛び上がって戦うというもので、風変わりなアイデアだったが戦闘ではうまくいかなかった。それにも拘わらず、選抜歩兵は重要な任務をこなし、散兵戦や各大隊の偵察などを行った。その訓練では射撃技術や素早い動きに重点が置かれた。 帽子は二角帽で黄と緑あるいは黄と赤の大きな羽毛が付いていた。1807年以後、円筒帽に変わり黄の線と同様な羽毛が付いた。上着には緑の線のある黄の肩章と黄の襟が付いた。もともとの武器は短い竜騎兵用マスケット銃であったが、実際にはシャルルヴィル1777年型マスケット銃と銃剣を装備した。擲弾兵と同様に、接近戦用に短いサーベルを帯びたがやはりあまり使われなかった。各選抜歩兵中隊はまとめられ、軽歩兵連隊や旅団を作ることがあった。1808年以後戦列の左端に位置した。この位置は伝統的に戦列戦闘の2番目に栄誉あるものであった。
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