戦列艦時代
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「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の記事における「戦列艦時代」の解説
海軍の艦船類別法が変更された関係で、1907年9月27日付けでトリー・スヴャチーチェリャは戦列艦(линейный корабль)に類別を変更された。 1911年から1912年にかけて、セヴァストーポリ港にてオーバーホールと近代化改修工事を受けた。この際、上部構造は大きく削られ、砲門の並ぶ帆走軍艦の舷側か城壁に似た外見を呈していた舷側は雛壇型に改められ、重心が下げられた。これに併せて6 門の152 mm砲と4 門の120 mm砲、10 門の47 mm砲が撤去され、新しい砲廓が設置された。そこには両舷合わせて10 門の152 mm砲が設置され、加えて上甲板には防盾付きの旋回式152 mm砲4 門が設置された。主砲上には、75 mm対水雷艇砲または高角砲のための設置箇所が設けられた。一方、魚雷発射管はすべて撤去された。こうした改装により、艦の外見はまったく別物と言ってよいほどに変化した。 反政府活動については、その後も継続した。1912年6月から7月にかけて、戦列艦イオアン・ズラトウースト、エフスターフィイ、パンテレイモン、シノープ、トリー・スヴャチーチェリャ、巡洋艦カグール、パーミャチ・メルクーリヤから500 名近い逮捕者が出た。 1913年にはロマノフ家300周年を祝う式典が催され、8月9日には黒海艦隊が皇帝ニコライ2世の訪問を受けた。この日、大セヴァストーポリ湾に集結した黒海艦隊艦船の中から、巡洋艦カグールと戦列艦パンテレイモンは皇帝を歓待する礼砲を放つ役割を与えられた。8月13日には、戦列艦エフスターフィイ、イオアン・ズラトウースト、トリー・スヴャチーチェリャが皇帝の訪問を受けた。翌日、ニコライ2世は皇室ヨット・シュタンダールトに乗って湾を去った。 同年8月21日、艦隊司令官旗を掲げた巡洋艦カグールを先頭に、戦列艦パンテレイモン、エフスターフィイ、トリー・スヴャチーチェリャはテーンドル湾へ向かった。そこでカグールが標的を曳航し、ほかの戦列艦が砲撃訓練を実施した。 1914年7月2日には、ニコライ2世は再度黒海艦隊を視察した。トリー・スヴャチーチェリャは、他艦とともに皇帝を迎えた。 黒海での開戦の気運が高まると、黒海艦隊ではオスマン帝国の保有する弩級戦艦との来るべき戦闘への備えが真剣に検討されるようになった。1910年代前半の時点で黒海艦隊は1 隻の弩級艦も保有しておらず、弥が上にも前弩級艦である手持ちの旧艦隊装甲艦で戦わざるを得ないことが司令部を苦慮させた。検討の結果、黒海艦隊司令官のA・A・エベルガールト海軍中将はひとつの目標に対し全艦が集中砲火を浴びせる集団戦法を考案し、これによって個艦では太刀打ちできなくても総合力で敵を圧倒することが可能であると説いた。来るべき決戦の日に備え、黒海艦隊では艦隊主力による集団戦法の習熟訓練に日々が費やされることとなった。 トリー・スヴャチーチェリャは主力艦隊の中では最も古い艦であったが、砲力の点では新しいエフスターフィイ級と同じ40口径305 mm砲を備えており、艦隊主力となることが期待された。実際、一級の武装を持った旧式艦であるトリー・スヴャチーチェリャは、実戦では使い勝手の良い艦として多くの危険な作戦に投入されることになった。
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戦列艦時代
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「ゲオルギー・ポベドノーセツ (戦艦)」の記事における「戦列艦時代」の解説
日露戦争でロシア主力艦が壊滅したために、戦後すでに旧式化していた装甲艦も現役を続行せざるを得なくなった。ゲオルギー・ポベドノーセツもそうした艦のひとつで、1906年には抜本的な近代化改修が行われることになった。艦には当時の新鋭艦に搭載されていたのと同じ40口径305 mm砲4 門が搭載されることになり、加えて速射砲も新しいカネー式45口径120 mm砲が設置されることとなった。この計画に従って砲が発注されたが、海軍司令部はやがてこのような「遊び」はナンセンスであるということに気付いた。新しい艦の就役を待つ方がずっと利口であるという決定が下され、ゲオルギー・ポベドノーセツの近代化改修は152 mm速射砲の換装だけに留められた。そのほか、排気煙突のあいだにあった換気用の煙突が撤去されている。 海軍の艦種類別が再び変更された関係で、1907年9月27日付けで廃止された艦隊装甲艦から、帆船時代より復活した戦列艦(линейный корабль)に類別を変更された。同時に、シノープとともに武装予備役に入れられた。 1911年には、旧型装甲艦の運用期限は5 年間と確定された。その主要任務は、敵軽戦力による攻撃からのセヴァストーポリ防衛であった。ゲオルギー・ポベドノーセツはシノープと交替で港内監視任務に就いた。しかしながら、ゲオルギー・ポベドノーセツには別の任務も与えられた。黒海艦隊初の潜水艦隊のためにゲオルギー・ポベドノーセツは機動標的の役を演じ、艦隊の大機動演習の際には「仮想敵国」艦の役を演じた。 1911年には、任務の変更にあわせて改修工事が施工された。この工事で主砲はすべて撤去され、上層甲板には6 門の45口径152 mm砲が追加装備された。
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