心霊現象研究と心理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 10:18 UTC 版)
「超心理学」も参照 心霊主義は、心霊現象研究協会を通して心理学という学問へ向かった。心霊主義の科学的調査は1860年代から行われていたが、ヴィクトリア時代の体制側の科学者の多くは、懐疑的な姿勢を取っていた。 1858年にダーウィンの『種の起源』が発表され、後に心霊現象研究協会の初代会長となる哲学者・倫理学者のヘンリー・シジウィックらは衝撃を受けていた。シジウィックは宗教と科学の調和という問題の鍵を心霊主義に求め、牧師の子であった詩人・古典研究者フレデリック・マイヤーズもまた、ヴィクトリア時代の懐疑論のもとで、信仰と理性を和解させることができず信仰の根拠を失い、死によって霊魂が消滅するかどうかという不安に苛まれていた。1871年、マイヤーズはシジウィックに「伝説・直観・形而上学が宇宙の謎を解きえないのに、幽霊や心霊などのように実際に観察することのできる事象を通して、『見えざる世界』について何か確実な知識は得られるのでしょうか」と尋ねた。シジウィックはその可能性があると応え、マイヤーズの30年におよぶ心霊研究が始まることとなった。イギリスの伝統である経験論の手法によって、心霊主義という超常現象を解明し、霊魂の死後存続を証明し、新しい信仰のあり方を見出そうとしたのである。 1880年代に、心霊現象研究を行う最初の学術団体として心霊現象研究協会が設立され、心霊主義は初めて「科学」的方法論に基づく調査の対象になった。物理学者ウィリアム・フレッチャー・バレットの提案で設立され、ヴィクトリア時代を代表する学者で、ケンブリッジ大学の教授であったヘンリー・シジウィックが初代会長に選ばれ、彼と二人の弟子フレデリック・マイヤーズとエドマンド・ガーニーが中心に活動した。シジウィックが中心となったことで協会の社会的信用が得られ、各界から名士が参加した。アーサー・バルフォアなど名門バルフォア家の人々、ウィリアム・ベイトソン(生物学者)、ルイス・キャロル(数学者)、ジョン・ラスキン(作家)、オリバー・ロッジ(物理学者)、アーサー・コナン・ドイル(作家)、タリウムを発見したことで知られるウィリアム・クルックス、世界的物理学者オリバー・ロッジ、ノーベル生理学・物理学賞を受賞したシャルル・ロベール・リシェ (エクトプラズムの命名者)などの学者・作家たち、ウィリアム・ステイントン・モーゼス(霊媒)、エドモンド・ロジャーズ(英語版)(「ライト」編集者)、フランク・ポドモア(フェビアン協会の創設者)なども加わり、19世紀末イギリスで代表的な知識人・文化人が集まる学会のひとつになったのである。 心霊現象研究協会では、テレパシー、ヒプノティズム(メスメリズムによるトランス現象であり、透視を含む)、ライヘンバッハのオドの力、幽霊現象、物理的心霊現象などであり、特に識閾下の部分(潜在意識・無意識)でのコミュニケーションと関係があると考えられたテレパシーが中心的課題であった。マイヤーズは、潜在意識とテレパシーによって心霊現象を説明しようとし、宗教や芸術に関しても同様のアプローチを行った。 心理学者カール・グスタフ・ユングの研究も、出発点には心霊主義があり、1902年に『心霊現象の心理と病理』を出版した。ユングはマイヤーズと同じように、プライベートでは交霊会に出席して死者との交流を試み、仕事の上ではその体験と分析を心理学的に行った。ユングの研究は深層心理学へと結実したが、彼の思想の核心部分には近代神智学との共通点も多い。
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