心霊現象研究
心霊現象研究(しんれいげんしょうけんきゅう)は、英語の Psychical Research (サイキカル・リサーチ)の日本語訳のひとつ。
サイキカル・リサーチは、公認されていない超常的 (psychical) あるいは心霊的 (spiritualistic) とされる現象について、心霊現象の実在を前提とせずに、科学的に調査・研究しようとするものである。霊魂の不滅などを信じる心霊主義とは区別されるが、人的には重なる部分がある[1]。1882年にロンドンで発足した心霊現象研究協会は、会長ヘンリー・シジウィックの下で科学的研究を志向したが、必ずしも懐疑派ではなく、中心的会員のひとりであったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースは心霊現象に対して肯定的な傾向があった。草創期には心霊主義者のウィリアム・ステイントン・モーゼスも参画していた[1]。
サイキカル・リサーチは、日本ではかねてより「心霊研究」と翻訳されることが多いが、この訳語は心霊主義と混同されやすい[1]。日本独自に発展した心霊研究は心霊主義に基づくもので、サイキカル・リサーチとは別物である。
出典
心霊研究
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1916年(大正5年)4月、弟の和三郎が新宗教大本(当時は皇道大本)の開祖出口なおと指導者出口王仁三郎に心酔、大本に入信して同年11月に海軍機関学校英語教官を辞職すると、12月には大本本部の置かれた京都府綾部に移住した。当初、正恭(海軍少将)は和三郎の大本入りに反対した。しかし正恭も大本に魅せられて入信し、和三郎と共に教団内で信望を集める。ある信者は後年「浅野和三郎は終始大日本修斎会長として、兄正恭は顧問として、大本運動の実権は全くこの兄弟の手に掌握され、出口王仁三郎氏はたゞ教主輔として神示を承るだけの御用として表に立つて直接信者をすることなく、大本の奥深く祭り上げられ、大本は殆ど浅野の大本であるかの如くになつて居たのであります」と回顧している。当時、和三郎達は「大正十年立替説(大正維新、二度目の天の岩戸開き)」という終末論を全国に展開、大本の影響力を恐れた日本政府は1921年(大正10年)2月12日、不敬罪と新聞紙法違反を理由に第一次大本事件で弾圧を加えた。 裁判中、王仁三郎は発禁となった教典『大本神諭』に替わる新教典『霊界物語』の口述を開始、さらに蒙古電撃渡航など破天荒な行動で独自のカリスマを発揮しはじめる。和三郎は王仁三郎を「精神異常者」とみなして愛想を尽かしはじめ、また霊魂の実在を科学的に証明しようとする意気込みを抱き、独自の活動を模索する。1923年(大正12年)3月23日、「心霊科学研究会」の創立大会が開かれる。1924年(大正13年)7月11日、和三郎は大本を脱退して綾部を去り、正恭も弟と行動を共にした。正恭の養子・遥は王仁三郎の娘・梅野と結婚していたため大本に残ったが、昭和3年に離婚して大本を離れた。1946年(昭和21年)には、日本心霊科学協会の設立に、顧問として関わっている。 正恭は、1954年(昭和29年)10月20日に数え88歳で亡くなるが、浅野遙の「父を偲ぶ」によれば、「父は自分の死期を、1ヶ月前から的確に10月20日といって皆に話していたのでしたが、全くその通りに10月20日に死亡しました」という。
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心霊研究
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「ウィリアム・クルックス」の記事における「心霊研究」の解説
1871年、信奉者の間で「霊媒の王者」と呼ばれていたダニエル・ダングラス・ホーム(ヒューム)という霊媒について研究し、「ホーム(ヒューム)の心霊現象にはトリックの片鱗すら見出せなかった」との結果を発表した。また、1872年からその真偽をめぐり論争が起っていたロンドンのフローレンス・クックという17歳の女性霊媒についても研究を始めた。クックが自身のエクトプラズムを使って物質化させたというケイティ・キングと名乗る霊の脈拍を測ったり、何十枚もの写真撮影を行なった。そして、クルックスはクックの起こす現象は本物であると発表した。多くの科学者はクルックスは騙されたか、発狂したのだと考えた。それらに対し、クルックスは「私はそれが可能だと言ったのではなく、事実だと言ったのだ」と反論した。クルックスは妻と共にクックが1904年に他界するまで面倒を見続けた。
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心霊研究
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「レナード・T・トロランド」の記事における「心霊研究」の解説
トロランドは心霊研究に興味を持ち、ハーバード大学でテレパシーの実験を行い、1917年に報告している。彼はこの種の実験で人体実験ではなく機械を用いた最初の科学者の1人である。この機械はトリガされたときに2つの正方形のブロックのいずれかを転倒させるランプからなっていた。1人が部屋で光を知覚しようと試み、もう1人が別の部屋でどちらのランプが光ったかどうかをスイッチを使って識別するというものである。トロランドは被験者が予測した期待値よりも下回ることを発見した。
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