徴兵に関する特権
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日本軍は「国民皆兵」を建前としたが、実際にはいくつかの免除規定があった。 1873年(明治6年)1月10日に制定された徴兵令に盛り込まれた免除に次のものがあった。 身分上の免除 官吏、陸海軍生徒、官立専門学校以上の生徒、洋行修行中の者、医術・馬医術を学ぶ者 階級上の免除 代人料270円を払った者(270円は歩兵兵卒の年間維持費3年分(当時の在営期間)に相当、現在の880万円) 嗣子に対する免除 家長とその家の家督を継ぐとされる者(実子、養子を問わない) 前科者に対する免除 厳密には排除と言えるが、徒刑以上の刑に処せられた者は、「名誉ある義務」兵役につかせないという政府の考えによるものであった。 1883年(明治16年)に徴兵令が一部改正され、代人制が廃止され、代わりに一年志願兵制度が導入された。一年志願兵は次の条件を満たす者に認められた。 満17歳以上27歳未満 小学校を除く官立・府県立学校を卒業した者 兵役中の費用を自弁する者 ただし当時の公立中学校卒業生は年間3000人程度であり、一年志願兵制度を利用できる者は非常に限られていた。 1889年(明治22年)に全面的に改正された徴兵令が公布・施行される。この改正徴兵令で一年志願兵制度以外の免除規定は削除された。一年志願兵制度は対象が私立学校卒業生に拡大され、予備役・後備役の幹部養成の教育期間とされた。兵役期間中に二等軍曹(後の伍長)になって除隊・予備役に編入される。その後勤務演習を経て終末試験に合格すると予備役将校に、不合格だと予備役下士になった。予備役将校になると将校としての衣服・装具は全て自弁しなければならなかったため、終末試験にわざと落ちる者も多かった(士官候補生からの現役将校には支度金が支給された)。 同年新たに設けられたのが、六週間現役兵制度である。国民の初等教育の普及徹底のため特に師範学校を卒業した官公立小学校教員の兵役期間を短縮させるのが六週間現役兵制度の狙いだった。六週間現役兵は他の兵とは別の個室を与えられ、衣服は上等であり特別待遇を受けた。軍隊は良いところだという印象を教員を通じて児童に教育し植え付ける目的があったとみられる。 1900年代後半、義務教育の修業年限が4年から6年に延長され、教員も不足し始めた。そこで従来の師範学校の他に中学校卒業者を対象に一年課程の師範学校第二部が作られた。この第二部卒業生も六週間現役兵制度の対象になった。軍備拡張期にあたったことから、合法的な徴兵逃れが厳しくなっていた時期でもあり、徴兵逃れに第二部を利用する者も少なからずいた。1919年(大正8年)に六週間現役兵制度は一年現役兵制度に改められた。 「小学校令#明治40年改正」および「師範学校#1897年 - 1943年」も参照 1927年(昭和2年)、徴兵令の全面改正の形を取って兵役法が制定された。この兵役法では、次のように改められた。 一年志願兵制度を幹部候補生制度に改め、予備役幹部と位置付けた。詳細は「幹部候補生 (日本軍)#一年志願兵制度による予備役幹部補充」を参照 青年学校を卒業した者は、兵役期間を6か月短縮できる。 師範学校卒業の小学校教員に対する一年現役制を、5-7か月間の短期現役制とする。「役種#昭和2年-昭和20年」も参照 戦局が悪化し、戦局が拡大すると幹部候補生以外は全て廃止された。 以上の他に、免除ではないが懲役6年以上の刑罰を受けたことのあるものは軍人となる資格を剥奪された。
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