明治40年改正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 06:42 UTC 版)
主な改正点は、現在の6年制の小学校のはじまりとなる尋常小学校の6年教育を定めるものである。 従来の修業年限(4年)では義務教育の本旨を全うすることはとても困難であったため、1900年(明治33年)現行小学校令を制定する際すでにその年限を延長することが必要であると認められていたが、当時4年の義務教育すら普及するに至っていなかったため、将来に義務教育延長を行うこととし、その準備として尋常小学校に修業年限2年の高等小学校を併置することを奨励することとした。それ以来義務教育は著しく普及し、さらに尋常小学校に高等小学校を併置した尋常高等小学校の数も増加したため、改正の時機が熟したことが認められるとともに戦後ますます国民の智徳を上進する必要があり、これを義務教育の年限を延長する理由となった。もちろん6年間への延長だけでは十分ではなかったが、1907年(明治40年)当時の状況では、急速に義務教育を更にそれ以上に延長することは難しいため、ひとまず義務教育期間を6年とすることとし、更なる延長は将来行うこととした。 1907年(明治40年)3月21日の「小学校令中改正ノ件」(明治40年勅令第52号)により、義務教育期間、つまり尋常小学校の修業年限が2年延長され、6年間となった(高等小学校の旧1・2年が尋常小学校の新5・6年となった)。
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