明治3年制式
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「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事における「明治3年制式」の解説
帝国陸軍初の軍服は、御親兵当時の1871年(明治3年)12月に制定された。将校・下士卒ともにフランス式の紺色地9個ボタン一列の上衣。袴は兵科ごとに色分けされ、歩兵は鼠霜降地に黄色側線、騎兵は赤地に黄色側線、砲兵は赤地に黒色側線となる。帽子は全面に日章を配したケピ帽である。 翌1871年(明治4年)9月には正装が制定され、将校は通常の軍衣よりやや上衣の丈が長いマンテルが採用された。 これらの軍衣は、のちの明治6年制式後も大量にストックが残存しており、台湾出兵、佐賀の乱、西南戦争においても使用されていたことが当時の写真や絵図から伺える。 1872年(明治5年)頃の近衛兵 1872年(明治5年)頃の山縣有朋。独自の略装 1875年(明治8年)当時の近衛砲兵将校ら。既に明治6年制式の軍衣が採用されているにも関わらず、着用しているのは明治3年制式である。 西南戦争出征時の兵士ら。こちらも明治3年制式を着用している。 下士卒軍衣を着用した兵卒。谷村計介
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