明治40年の大水害の影響
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「明治40年の大水害」の記事における「明治40年の大水害の影響」の解説
笛吹市石和町市部に所在する日蓮宗寺院の遠妙寺では文永11年(1273年)に宗祖である日蓮が甲斐における巡教の最中に石和において鵜飼漁翁の亡霊を済度したとする伝承があり、これが江戸時代石和鵜飼の由来として広まる。遠妙寺ではこの伝承により川施餓鬼の根本道場となり、明治40年の大水害では水難横死者についても慰霊法要を行っている。 1912年(明治45年)3月には、朝日新聞社記者の松崎天民が山梨県を訪れ、水害被害の実情を観察した。松崎は水害被害のみならず山梨県の風土、文化を含めた甲州人論を『東京朝日新聞』に連載し、1912年(大正元年)には『甲州見聞記』として刊行した。
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