明治40年帝国国防方針
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:11 UTC 版)
「帝国国防方針」の記事における「明治40年帝国国防方針」の解説
明治40年(1907年)4月4日に初めて策定された国防方針においては、まず国家目標として開国進取の国是に則って国権の拡張を図り、国利民福の増進に勤める二点にと定められた。 そしてこの国家目標に基づく国家戦略としては、満州及び大韓帝国に扶植した利権と東南アジア・中国に拡張しつつある民力の発展の擁護と拡張であると定められたのだった。したがって国防方針は帝国軍の国防は東アジアにおいて日本の国家戦略を侵害しようとする国に対して攻勢を取ることを定め、さらに満州や韓国に利権を扶植したので、国土での専守防衛を明確に否定している。
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