明治41年製の増備車とは? わかりやすく解説

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明治41年製の増備車(名鉄サ10形)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 16:27 UTC 版)

瀬戸電気鉄道テ1形電車」の記事における「明治41年製の増備車(名鉄10形)」の解説

1908年明治41年)に増備されたテ3, 4相当するが、本グループ自社工場車体新製した。主要機器・窓配置等は前項1, 2同一であるが、定員がテ1, 237に対して42人と若干増加している。 本グループ1921年大正10年)に電装解除され付随車化。シ3, 4となる。1941年改番ではサ10形11, 12改称改番されたものの、サ12戦災焼失し廃車となった。残るサ11最終的に築港線転属し、客車代用として使用された後、1956年昭和31年10月廃車となった

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明治41年製の増備車(名鉄サ20形)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/04 16:27 UTC 版)

瀬戸電気鉄道テ1形電車」の記事における「明治41年製の増備車(名鉄20形)」の解説

前項3, 4同時期に増備された車両であるが、こちらは主電動機および運転台持たない付随車であったVS5, 6の2両が自社工場新製され、窓配置等は前項3, 4準じていたが、屋根がシングルルーフ構造とされたことが異なる。なお、乗車定員はテ1, 2同じく37であった。 なお、本グループ1910年明治43年)に運転され御召列車車両抜擢され車内改装した他、開放デッキ部分に外吊り型の客用扉を新設している。車内設備については御召列車運転後に復旧されたが、客用扉はそのままとされた。 1941年改番でサ20形21, 22改称改番された後、本グループ築港線転属し、客車代用として使用された後、1956年昭和31年10月廃車となった

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