明治41年製の増備車(名鉄サ10形)
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「瀬戸電気鉄道テ1形電車」の記事における「明治41年製の増備車(名鉄サ10形)」の解説
1908年(明治41年)に増備されたテ3, 4が相当するが、本グループは自社工場で車体を新製した。主要機器・窓配置等は前項テ1, 2と同一であるが、定員がテ1, 2の37人に対して42人と若干増加している。 本グループは1921年(大正10年)に電装解除され付随車化。シ3, 4となる。1941年の改番ではサ10形11, 12と改称・改番されたものの、サ12は戦災で焼失し廃車となった。残るサ11は最終的には築港線に転属し、客車代用として使用された後、1956年(昭和31年)10月に廃車となった。
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明治41年製の増備車(名鉄サ20形)
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「瀬戸電気鉄道テ1形電車」の記事における「明治41年製の増備車(名鉄サ20形)」の解説
前項テ3, 4と同時期に増備された車両であるが、こちらは主電動機および運転台を持たない付随車であった。VS5, 6の2両が自社工場で新製され、窓配置等は前項テ3, 4に準じていたが、屋根がシングルルーフ構造とされたことが異なる。なお、乗車定員はテ1, 2と同じく37人であった。 なお、本グループは1910年(明治43年)に運転された御召列車用車両に抜擢され、車内を改装した他、開放デッキ部分に外吊り型の客用扉を新設している。車内設備については御召列車運転後に復旧されたが、客用扉はそのままとされた。 1941年の改番でサ20形21, 22と改称・改番された後、本グループも築港線に転属し、客車代用として使用された後、1956年(昭和31年)10月に廃車となった。
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