徴兵カードの焼却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 22:55 UTC 版)
「ゲイリー・レーダー」の記事における「徴兵カードの焼却」の解説
1967年4月14日、レーダーはニューヨーク市で翌日行われる予定の大規模な反戦運動の話を耳にする。彼はコーネル大学に在学していた反戦学生のリーダーに連絡を取り、この運動に加わりたい旨を伝えた。そしてデモの当日、レーダーはニューヨーク市セントラル・パーク・シープ・メドー(英語版)で徴兵カードの焼却に加わるべく友人らと集まっていた。この際、彼はグリーン・ベレーの制服を着用し、その上に黒いスキージャケットを着込んでいた。午前11時30分、周囲で60人ほどの人々が徴兵カードを燃やし始めると 、レーダーはジャケットを脱いで緑色のベレー帽を正しく被り、自らの徴兵カードに火を付けた。 多くの人々がこの日のデモに参加するか、または目撃していた。それは例えば反戦運動家アビー・ホフマンのほか、ニューヨーク市警察の警官隊、FBI捜査官、ニュース映画のカメラ、報道関係者、あるいは通行人などである。雑誌『タイム』ではこの日75枚の徴兵カードが焼かれたとしているが、参加者の1人だったマーティン・ジェザー(英語版)は158枚が焼かれたとしている。 4月17日、レーダーは中隊長に退職願を郵送した。その数日後、レーダーはエバンストンの自宅にてFBI捜査官により逮捕された。彼はシカゴの拘置所に送られたが、翌日保釈された。彼は無許可で制服を着用したことについて、罰金10,000ドル、刑務所での懲役6ヶ月の処分が課された。シープ・メドーのデモに関して法的に裁かれたのはレーダーのみであった。ジェザーによれば、その他の参加者の元にもFBI捜査官が現れたが、起訴はされなかったのだという。4月28日にはレーダーの罪状認否が行われたが、これに抗議する為に7人の男性が徴兵カードを焼いた。 1967年5月、シープ・メドーでのデモを受け、アナキストの作家ポール・グッドマン(英語版)は雑誌『The New York Review of Books』にて、徴兵カードの焼却に同情的な記事を書いた。また1967年9月には同誌でデモに関する記事がいくらか掲載されており、その中にはレーダー自身が抗議の動機として語った文章も含まれていた。この記事によれば、彼は人々の注目を集めるべく「徴兵カードの焼却」を理由に軍法会議で裁かれることを期待していたが、それが叶わなかったのだと語っている。
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