一年志願兵制度による予備役幹部補充
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「幹部候補生 (日本軍)」の記事における「一年志願兵制度による予備役幹部補充」の解説
1889年(明治22年)1月、明治政府は改正徴兵令(法律第1号)第1条から第3条により満17歳より満40歳までの男子はすべて兵役に服する義務があり、兵役は常備兵役、後備兵役および国民兵役とすると定め、さらに常備兵役を現役と予備役に分けた。この時に1883年(明治16年)の改正徴兵令で認められたいくつかの徴兵に関する優遇規定は廃止されたが、ドイツの制度(Einjährig-Freiwilliger)を参考にした一年志願兵は条件を若干変更しながらも第11条と第35条で特例として残った。一年志願兵となるには満年齢17歳以上26歳以下で次のいずれかに相当する者に資格があった(1889年1月改正時)。 官立学校の卒業証書を持つ者。 府・県立師範学校の卒業証書を持つ者。 中学校または中学校と同等以上の学校の卒業証書を持つ者。 法律学・政治学・理財学を教授する私立学校の卒業証書を持つ者。 陸軍試験委員の試験に及第した者。 上記の資格条件のうちいずれかを満たし、なおかつ兵役に服する間の食料、被服、装具等の費用を自己負担して志願する者は、通常一般の陸軍兵卒が3年間の現役、4年間の予備役を課せられるのに対し、現役期間1年、予備役2年に低減された。学識のある者には国の財政的負担を肩代わりさせる条件つきで特権を与えたのである。 同年2月公布の一年志願兵条例(勅令第14号)により、一年志願兵は兵科と衛戍地(えいじゅち:部隊の所在地)を選ぶことができ、毎年12月1日に入隊と定められた。被服、装具、武器、弾薬等は部隊から現品を支給されるが、修理費として60円を前納しなければならず、騎兵は前記のほかに馬と馬具の経費としてさらに80円を納めるとされた。一年志願兵は特別に徽章をつけ雑役を免じられて営外に居住しながら部隊に通勤できるが、居住の費用と食費は自己負担であり、また兵役の間は無給であった。 一年志願兵のうち「勤務ニ熟達シ且品行方正ニシテ予備士官ノ教育ヲ授クルニ堪フ可キ」と認められた者は入隊から6か月で上等兵に進級し、隊内で特別教育をされながら下士官と同様の勤務をしたのち満期の際に学科と実地の試験を受け、及第者は終末試験及第証書を授けられ二等軍曹として予備役に編入される。予備役将校の補充が必要とされる場合は、前述の終末試験及第証書を持った一年志願兵出身者を予備役編入の翌年に最低3か月予備見習士官として勤務演習に召集し、最後に試験を行って及第した者を予備少尉として任官させ、試験に落第した者は曹長または一等軍曹となった。一年志願兵は憲兵科・屯田兵科以外の各兵科に置かれ、軍吏部(後の経理部)、衛生部、獣医部の予備役幹部となる者も関連する兵科に入隊した。 1893年(明治26年)、一年志願兵条例の改正(勅令第73号)により一年志願兵は原則として兵営に居住し被服、弾薬等の費用と兵器修理費として62円のほかに糧食費として38円を納め、騎兵はさらに75円を納めると改められた。その後、一年志願兵出身の予備役将校の有用性は日露戦争での投入事例により確固たるものとなる。何度かの条例改正ならびに新条例により兵科や衛戍地選択の自由が無くなり、納付する諸費は物価に合わせ上昇し、予備役期間は最終的に6年4か月まで延長するなど細部を変更しながらも、明治から大正時代を経て1927年(昭和2年)に廃止されるまで一年志願兵制度は存続した。最終期の一年志願兵として1928年(昭和3年)に各兵科の予備役少尉あるいは各部の予備役少尉相当官に任官する資格を得た者は兵科が3818名、各部が588名である。 ほかに1889年11月の改正徴兵令(法律第29号)で定められた師範学校を卒業した教員に限定される六週間現役兵の制度が、1919年(大正8年)12月より一年現役兵と改められた。一年現役兵は現役満期の際に軍曹に任じられ国民兵役へ編入されるが、予備役将校となることを希望する者は志願により一年志願兵と同様に終末試験を受けることが1927年の廃止まで可能であった。
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