平削盤とは? わかりやすく解説

平削盤〈/明治十二年、工部省赤羽工作分局製〉

主名称: 平削盤〈/明治十二年、工部省赤羽工作分局製〉
指定番号 112
枝番 0
指定年月日 2001.06.22(平成13.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 1台
時代区分 明治
年代 明治12年
検索年代
解説文: 平削盤(Planing Machine)は、加工対象となる工作物往復するテーブル上に固定し、垂直および平方向に送り機構を持つ刃物ユニット取り付けた刃物バイト)によって平面切削する工作機械である。
 本機は、明治十二年(一八七九)に、工部省赤羽工作分局こうぶしょうあかばねこうさくぶんきょく】で製造されたことが、ベッド鋳込まれた陽刻銘【ようこくめい】によって知られ、トップビームに三箇菊花紋章【きっかもんしょう】がついている
 平削盤は、一九世紀初頭欧米考案され工作機械である。全ての工作機械精度平面精度依存しているため、より大きく精度の高い工作物加工可能にしたこの機械登場機械工業発展画期となった。これにより自動織機鉄鋼船の鉄板蒸気機関加工等が容易となった
 わが国への導入は、安政四年(一八五七)の長崎製鉄所建設伴ってオランダから輸入されたものが初見である。明治維新後、工業化急務とした明治政府は、明治三年一八七〇)、工部省設立した本機銘板にある工部省赤羽工作分局は、明治四年十二月東京赤羽現在の東京都港区)の旧久留米藩邸跡に佐賀藩献納した機械類利用する工部省管下製鉄寮として発足した数次制度的変遷経て明治十年赤羽工作分局改称されこのころには工場としての設備整い官民需要に応じて機械製造した
 そのような中で、明治十二年、岩手県盛岡市北上川支流中津川船舶修理所を建設する計画をたて、平削盤、旋盤ボイラー等の製作を工部省発注した。本平削盤は、まさにこのときに製造され国産工作機械である。なお船修理所は県営工場として発足して明治十四年には民間工場へと変わったが、本機その後稼働し続けた
 さて赤羽工作局は、明治七年から十四年まで、工部大学校こうぶだいがっこう教師ダイアーHenry Dyer)の監督のもと、工部大学校実習場としてあり、ここからその後日本機械工業を担う指導者たちが育っていった。また、ここで製造され数百台の機械類は、価格高く性能面欧米製のものに及ばなかったものの、その製造過程得られ知識経験その後日本機械工業発達貴重な財産となった
 なお、本機は、明治三十四年、岩手県実業学校引き継がれ同校実習機として使用された後、昭和四十四年(一九六九)、財団法人博物館明治村寄託され現在に至っている。
 このように本機は、日本機械工業黎明期実状伝え国産工作機械として、わが国工業発達史上に貴重である。


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