巡洋戦艦の設計と運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:37 UTC 版)
「ユトランド沖海戦」の記事における「巡洋戦艦の設計と運用」の解説
巡洋戦艦における設計の問題と運用の誤りは、イギリス海軍に重大な損害をもたらした主因である。この戦闘は、イギリス海軍が技術と作戦の両面でドイツ海軍に劣っていた証拠だとされることが多い。 ジェリコーは報告書へ以下のように書いている。 巡洋戦艦の交戦の問題点は、5隻のドイツ巡洋戦艦が同等のイギリス巡洋戦艦6隻と交戦し、しかも我が方は交戦開始から20分後には遠距離とは言えクイーン・エリザベス級戦艦4隻の砲火に支援されていたにも関わらず、なおクイーン・メリーとインディファティガブルを沈められた点にある・・・イギリス艦喪失の原因となった要因は、第一に、我が方の巡洋戦艦の不十分な装甲、特に砲塔の装甲と甲板の防御、第二に、照明について我が方の艦隊が受けた不利である・・・夜間におけるドイツの組織は非常に優れている。彼らの認識信号のシステムは優秀だが、我が方にはないも同然だ。また、彼らの探照灯は我が方より優れており、たいへん有効に活用されていた。最後に、彼らの夜間射撃の方法も優秀な結果を出している。認めたくはないが、夜戦についてはドイツ海軍から大いに学ぶべきだと言わざるを得ない。 2003年の夏にはダイバー隊が、イギリス艦に多かった艦内爆発の原因を調査するため、沈没した巡洋戦艦インヴィンシブル、巡洋戦艦クイーン・メリー、装甲巡洋艦ディフェンス、巡洋戦艦リュッツオウの残骸を調べた。この時の調査結果によると、艦内爆発の主な原因は主砲弾の推進剤であるコルダイトの雑な取り扱いを原因として挙げている。これは当時のイギリス海軍の方針で、敵に対して遅くて正確な射撃より、むしろ速射率を重視していたせいである。特に発射のスピードを重んじる訓練の際に、ホイストとハッチを通じてコルダイトを供給していたのでは間に合わないので、次の斉射のための装填に間に合わせるため、誘爆に備えた防火扉の多くを開いたままの状態にして、コルダイトの袋を砲塔近くに置いていた。これでは安全のための設計がまったく無意味になるが、このような「悪い習慣」が実戦時にも行なわれてしまった。 さらにドイツ海軍の推進火薬であるRP C/12は真鍮製のシリンダーに収められていたのに対し、イギリス海軍のものは絹製の袋で供給されており、火炎に敏感で誘爆を招きやすかった。しかも1913年には、弾薬不足を恐れて、各艦の砲弾とコルダイトの積載量を50パーセント増やすと決定された。これが弾薬庫の収容力を超えた時には、コルダイトが危険な場所に保管されることになった。 海戦の後、イギリス海軍はコルダイトの取り扱いについて批判的な報告書を作成した。しかしその時にはすでに、ビーティーは「大艦隊」の司令官になり、ジェリコーは第一海軍卿(日本で言う軍令部総長)になっていた。そのため、艦内爆発の責任の一部は参加した艦隊の士官たちにあるとする報告書は握りつぶされ、ほとんど一般の批判を受けることはなかった。 海戦はイギリス海軍の概念と巡洋戦艦の使用に欠点があったと見られた。巡洋戦艦はジョン・アーバスノット・フィッシャーの、「速度は装甲」という言葉通りに設計された。それは敵の戦艦より速く、優れた射撃管制を用いて敵の巡洋艦を射程外から圧倒して反撃する余地を与えないことを目的としていた。しかし、この海戦で射撃管制の使用を可能にする開発が行われず、フィッシャーの方式は成り立たなかった。また、そもそも巡洋戦艦同士の砲戦に耐える装甲も不足していた。特に、本海戦では遠距離砲戦により大角度から被弾することが多くなり、ドイツ艦で取り入れられていた水平防御の重要性が認識されることとなった。 また、本海戦に参加した戦艦を含む主要艦艇の多くは旧式で速力が遅いために主戦闘には参加できず、新たな高速艇の開発が課題となった。しかし、上記のように装甲の充実も戦訓とされたため、これら相反する条件をクリアするため各国の設計者たちは悪戦苦闘することとなる。
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