家族、晩年、思い出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:21 UTC 版)
「マシュー・ボールトン」の記事における「家族、晩年、思い出」の解説
妻に宛てた1780年1月の手紙に出張で長く家をあけてはいるが、どれほど家族を深く愛しているか述べた。 最愛の妻と子供たちを残してこんなに寒く遠く離れた土地にこれほど長くいても、みなの幸福と豊かさ、よい暮らしのために働いているのだと知っていればこそ耐えられる。それが実現するまでは、苦労を苦労と思う暇など私にはないのだ。 1783年に妻のアンと死別、残された10代の息子のマシュー・ロビンソン・ボールトンも娘のアンも病弱だった。息子のマシューは病気がちで成績もふるわず何度も転校を重ねた末、1790年に父親の事業に加わる。娘のアンは足が不自由で幸薄い人生を過ごす。 1800年に蒸気エンジンの特許が切れるとボールトンとワットは引退、それぞれ息子に事業を引き継ぐ。息子たちはすぐに双方の父が自慢にしていたソーホー製作所の公開ツアーを終わらせた。退職後もボールトンはソーホーの貨幣製造所の経営を続け財界で活躍する。新しい王立造幣局が1805年にタワーヒルに建つと、ボールトンは最新の製造機械を納入する契約を授かった。ボールトンが精力的に仕事を続ける姿を見て、製作所からまったく身を引いたワットはボールトンの体調を心配し手紙で忠告している。1804年付けの手紙には「友人として貴殿がいつまでも工場の監督を続けられるのでは、健康に障りはしないかと憂慮してなりません。」 ボールトンは銀不足の対応策としてイングランド銀行の保管するスペインドルを自分に委託するように政府を説得した。銀行は硬貨のスペイン王の肖像にジョージ3世の小さな画像をリストライク(英語版)してイギリス硬貨として循環させようとしていたが、世論は偽造が混じることを心配して銀行案の受け入れに消極的だった。ここから生まれた対句がある。「銀行はスペインドルを使えってね/ロバの首に馬鹿の頭を押せってね」。ボールトンはリストライクの刻印に車輪のデザインを使わなかった[訳語疑問点]。ボールトンが望んだほど偽造防止は成功せず (発行後、数日以内に銀行によくできた偽物が到着) 、それでも王立造幣局が1816年に再び銀貨を大量に打印するまで、ボールトンの硬貨は回収されず市場に流通した。1808年には健康を損ねていたものの使用人にソーホー・ハウスからソーホーミントまで運ばせると自分の席に座り、機械がいつになく忙しく動く様子を見守っている。東インド会社向けに硬貨およそ9000万枚を打印する仕事に追われた年であり、「私自身、今までにさまざまなものを製造した中でもっとも情熱を傾けたのは貨幣製造技術であり、これこそ完璧さをとことん追求したのである」と書いた。 その翌年 (1809年) には長年わずらった腎臓結石が膀胱に達し、激しい痛みに耐えながら衰弱が進み 、8月12日ソーホー・ハウスにて永眠 。バーミンガムの聖マリア教会 (ハンズワース) の教会墓地に埋葬される (拡張工事で教会建物がボールトンの墓を覆った) 。教会堂の内部、sanctuaryの北側に息子のマシューが置かせた大理石の大きな記念像はジョン・フラクスマンの彫刻である。碑文の上部には丸窓に囲まれたボールトンの胸像が彫られ、見上げるプットの片方は手にソーホー製作所の絵を持っている。 バーミンガム一帯には記念碑やボールトンとゆかりがあるものをそこここに見ることができる。1766年から亡くなるまで住んだソーホー・ハウスは博物館として、彼が初めて実験のために借りたセアホールミル(英語版) (水車小屋) は公開しており、ソーホー製作所と住まいの記録はバーミンガム市の史料編纂所に寄託された。バーミンガム市では歴史的な場所をブルー・プラークという青い銘板で示しており、ボールトンが生まれたスチールハウス通りの家とソーホー・ハウスにも掲示している。バーミンガム中心部のブロード通りに面した旧登記所の建物の前に立つブロンズ像はウィリアム・ボイル (William Bloye) が鋳造したボールトン、ワット、マードック記念像 (1956年製作) 、マシュー・ボールトン大学は彼を称えて1957年に改名された (2009年8月にサットン・コールドフィールド大学と統合されバーミンガム・メトロポリタン大学と改称) 。2009年の没後200年記念日に組まれたさまざまな行事のうち、バーミンガム市議会はその年を「マシュー・の人生と業績と社会的貢献を記念する年」に指定している。 2009年5月29日、イギリス銀行としては初めて、ふたり分の肖像を載せた紙幣を発行、50イギリスポンド紙幣にボールトンとワットが肩を並べ、蒸気機関とソーホー製造所が描かれた。また「では世界中が求めるものをここにお見せしましょう、POWERを」[訳語疑問点] (ボールトン) 、「私にはこの機械しか頭にありません」[訳語疑問点] (ワット) とそれぞれに賛辞も印刷してある。さらに2011年9月、これらの紙幣の発行は同年11月2日に決まったと告知。 ロイヤルメールの記念切手はボールトン になると発表されたのは2009年3月のことである。ウェストミンスター寺院のジェームズ・ワット像のとなりに、2014年10月17日、共同事業者マシュー・ボールトンの像が並んだ。
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