宮本町の子ども歌舞伎
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後野区宮本町は、2019年現在、加悦谷祭で唯一子ども歌舞伎を上演する。子ども歌舞伎は、児童福祉法の施行などを受けて1962年(昭和37年)を最後に一度途絶えており、1990年(平成2年)、28年ぶりに復活したものである。 かつての子ども歌舞伎は、町内在住の未婚男子を中心に組織された「若家主」が町外の歌舞伎一座に依頼し、芸屋台で各戸を巡って上演した。断絶後、1983年(昭和58年)に町内在住の45歳までの既婚男子で新たに「宮本町若家主会」が組織され、囃子奉納や神輿や子ども屋台の町内巡行を担うなかで、かつて子ども歌舞伎の舞台として使われた芸屋台「愛宕山」に虫害が見つかり、その修復工事を契機に子ども歌舞伎の復活が検討された。屋台の修復は1988年(昭和63年)から1990年(平成2年)春にかけて行われ、この間に兵庫県中町から播州歌舞伎の嵐獅山を指導者として招き、再上演に備えた。1990年(平成2年)28年ぶりに上演されて以後は、おおよそ隔年で奉納されている。 復活当時は町内の小学4年生から6年生までで約20名いた役者は、少子化により減少し、年齢制限は撤廃され、2019年(平成31年)には初めて町外の子どもも役を担い、5歳から小学5年生までの子どもが役者となった。嵐獅山は、2015年(平成27年)に他界するまで、宮本町子ども歌舞伎の指導を担った。 復活後、上演された演目は以下の通り。なお、祭礼巡行までの時間は、所望舞に区内を巡る。 愛宕山子ども歌舞伎 演目年表 開催年演目1990年(平成2年) 義経千本桜 1992年(平成4年) 寿式三番叟 1994年(平成6年) 義経千本桜 1995年(平成7年) 蝶千鳥曾我物語対面場 1997年(平成9年) 絵本太功記尼ヶ崎の場 1999年(平成11年) 絵本太功記尼ヶ崎の場 2001年(平成13年) 忠臣蔵、平成寿の舞 2003年(平成15年) 義経千本桜 2007年(平成19年) 義経千本桜 2010年(平成22年) 義経千本桜 2013年(平成25年) 義経千本桜 2015年(平成27年) 寿式三番叟 2017年(平成29年) 義経千本桜「吉野山道行の場」 2019年(平成31年) 寿式三番叟 愛宕山の子ども歌舞伎には、滋賀県長浜市の曳山祭りとの類似点が多く、長浜の浜ちりめんが丹後ちりめんから技術を継承したように、人の交流があった様子がうかがわれる。復活後は、加悦谷祭を代表する祭礼行事として、平安建都1200年記念事業として京都市内で開催された「全国祇園祭山笠巡行」や、第20回全国豊かな海づくり大会などでも、子ども歌舞伎を披露している。 こうした芸屋台の文化は、京都府ではほかに、京丹後市大宮町、京丹後市久美浜町、宮津市、舞鶴市など北部地域にとくに分布する。 宮本町にはかつては担い屋台もあり、愛宕神社奥の院まで太鼓を載せて担いでいったと伝えられる。しかし、1907年(明治40年)4月の決議で、太鼓台にすべて廃止され、翌年からは毎年芸屋台を出すと定められた。 2019年現在、子ども歌舞伎のない年には、代わりに「子ども屋台」が出る。この屋台は、午後の祭礼までの時間に各々の地区内を巡行し、これを「ニギヤカシ」と称する。子ども屋台の内容は年ごとに異なる。囃子や舞手は高校生以下で構成され、芸屋台に付随する伝統の囃子がゆっくりしているため、賑やかなものを加えたいとして1987年(昭和62年)に考案された「愛宕山さくらばやし」や、2000年(平成12年)から導入されたヨサコイソーランに似た踊りなどがある。
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