実際の北前船との違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 10:06 UTC 版)
「辰悦丸 (復元北前船)」の記事における「実際の北前船との違い」の解説
辰悦丸の復元建造にあたって、以下の理由により、往年当時に使われていた北前船の実物とは異なっているところがある。 船体の建造は設計当初から寺岡造船が培ってきた木造船の造船技術の粋を集めたものであり、元々の設計図面等が無い状態から#建造に至る経緯で取り上げている各種資料を元に大まかな設計図を作成した上で、実際に航行した場合の船体の安定性などの安全性を考慮してコンピューターによる計算を含めた修正設計を行い、船の形状は実際に航行可能なものとしている。これらは往年当時の北前船では行われなかった造船技術であり、なおかつ一から全面的に設計したも同然の状況なので、この段階で既に微妙な違いを生じている。 船体構造は当初から木造船として建造する事を念頭に置いていたが、当時の寺岡社長の理念として安全性を第一に考えていたため、船体は木造船構造とした上で、補強用部材として4 - 5mm厚の鋼板を貼り付けている。なお、この鋼板は辰悦丸では木造船体の補強用部材として使っているが、通常の造船用としては主に居住区域などの艤装に使われるものであり、直接水に触れて強度も必要となる船体主要部分には使われない材料であるために、そもそも船体構造を直接構成する物ではなく、ゆえに「鉄船に木板を貼り付けた構造」ではなく「木造船を鋼板で補強した構造」というのが正しい。 #歴史において取り上げた通り、当初から航行可能な設計とした上で完成後に無事進水したものの、元々は陸上展示物の扱いとしていて実際の航海を想定していなかったが、回航計画が持ち上がってからは、当初の構造そのままでは日本海の荒海に耐えられる強度ではなかった事と、人を乗せての航海における法律上や安全性の問題、海上保安庁や神戸海運局(現、神戸運輸監理部)その他関係公的機関への許可申請及びそれらからの指摘・助言などを受けた事により、実際の航海に耐えられるように補強・改修する必要が生じた事から、後に鋼板等によるさらなる補強を施した上で、8畳の畳部屋、3畳の台所、押入れ風の寝台4箇所に戸袋、神棚が設けられた。そのために内装や間取りが往年の物とは異なる。 帆については、当初は#歴史中記載の参考資料及び洲本測候所(当時は洲本市小路谷に存在)の気象観測資料による年間最強風向風速に基づいて、実際に航行可能な帆となるように甲板からの帆柱の高さを29m、帆幅を20mと算出していたが、「くにうみの祭典」期間中やその終了後もおのころ愛ランド公園(当時)にて引き続き陸上での永久保存展示とする計画であり、その陸上展示での安全性を最大限に考慮するため、改めて帆柱の高さを20m、帆幅を16mに変更して設計されたので、往年の実際の北前船よりも帆が小さいとされる。ただし、この帆の大きさであっても、回航当時は帆を上げた状態で追い風を受けると先行するタグボートに追い付きそうになる程の速力を得ていたという。 これらの点については石井謙治の著書『和船 II』でも一部取り上げているものの、参考文献『北前船 (1989)』に記載されている内容のほかに、当時の造船主体の寺岡造船による造船事情や後の陸上展示事情、関係公的機関(海上保安庁及び神戸海運局〈現、神戸運輸監理部〉など)の許可等関連事情に深く踏み込んだ内容となっておらず、参考文献『北前船 (1989)』の内容との間に差異がある事に留意されたい。また読売新聞北陸支社発行の著書『日本海こんぶロード 北前船』でも、上記の辰悦丸の復元に関連した話が一部取り上げられている。
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