実況を担当した阪神タイガースの主な試合
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「西澤あきら」の記事における「実況を担当した阪神タイガースの主な試合」の解説
いずれも阪神甲子園球場で開催。実況を担当したプロ野球の試合自体は、OBC・CBCのアナウンサー時代を含めて、通算で1050試合以上に達する。 1973年8月30日:阪神タイガース対中日ドラゴンズ戦阪神先発の江夏豊が延長11回をノーヒットノーランで投げ抜いた末に、自らのサヨナラ本塁打で決着を付けたことで知られる一戦。サンテレビに現存する阪神戦の中継映像では最も古いため、阪神の歴史を振り返る番組(『虎辞書なる!!』など)や、「阪神タイガースオリジナルDVDブック 猛虎烈伝」第4巻「20世紀最高の左腕 江夏豊」の付録DVDなどに資料として使われている。 1973年10月22日:阪神タイガース対読売ジャイアンツ(巨人)戦両チームにとってセントラル・リーグ優勝の掛かった大一番だったが、巨人が9-0で大勝するとともにリーグ9連覇を達成。試合終了の直後から、怒り心頭に発した大勢の阪神ファンが、スタンドや三塁側の巨人ベンチ内で暴動を起こした(阪神タイガース#世紀の落球とV9も参照)。内野スタンドバックネット裏中段の放送席でも、サンテレビと同時に試合を中継していた読売テレビのテレビカメラが、ファンに奪われたあげく破壊されるなどの被害が発生。しかし西澤は、「サンテレビは、俺らの味方や!手を出すな!」というファンの一声で、辛うじて放送席ごと難を逃れた。この一件は、「サンテレビが阪神ファンから絶大な信頼と愛情を寄せられているエピソード」として、現在まで語り継がれている。ただし西澤は、「(試合終了後にも)放送が続いていたため、何事か実況していたはずだが、何を喋っていたのかは記憶の中からすっぽりと抜け落ちている」という。 1982年7月8日:阪神タイガース対広島東洋カープ戦岡山県野球場での阪神主催試合だったが、阪神の攻撃中に蛇がナイター照明設備へ入り込んだ影響で、球場全体が18分間にわたって停電。サンテレビではテレビ中継用の電源車を場外に停車させていたため、停電中も場内の情景などを伝えながら実況を続けた。 1985年10月31日:日本シリーズ第5戦(阪神タイガース対西武ライオンズ戦)独立UHF局による史上初の日本シリーズ中継。西澤が同シリーズの試合を実況したのは、この日だけである。ただし、現在に至るまで、阪神のセントラル・リーグ優勝や日本シリーズ制覇の瞬間を実況したことはない。 1992年9月11日:日本プロ野球史上最長試合(阪神タイガース対ヤクルトスワローズ戦)試合時間が6時間26分に及んだ末に、延長15回で引き分け。西澤は、当日の午前9時から午後2時まで兵庫県芦屋市のスタジオでサンテレビのNFL関連番組を収録した後に、隣の西宮市にある甲子園球場へ移動。午後6時の試合開始から、放送終了の翌12日の午前0時35分まで、ウーロン茶を缶2本分飲んだだけで何も食べずに実況を続けた。この中継は、平均視聴率28.0%、瞬間最高視聴率50.0%を記録した(当時視聴率調査を実施していたエーシーニールセン・関西地区調べ)。
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実況を担当した阪神タイガースの主な試合
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「西澤暲」の記事における「実況を担当した阪神タイガースの主な試合」の解説
いずれも阪神甲子園球場で開催。実況を担当したプロ野球の試合自体は、OBC・CBCのアナウンサー時代を含めて、通算で1050試合以上に達する。 1973年8月30日:阪神タイガース対中日ドラゴンズ戦阪神先発の江夏豊が参考記録ながら延長11回をノーヒットノーランで投げ抜いた末に、自らのサヨナラ本塁打で決着を付けたことで知られる一戦。サンテレビに現存する阪神戦の中継映像では最も古いため、阪神の歴史を振り返る番組(『虎辞書なる!!』など)や、「阪神タイガースオリジナルDVDブック 猛虎烈伝」第4巻「20世紀最高の左腕 江夏豊」の付録DVDなどに資料として使われている。 CBCアナウンサー時代の1964年8月18日にも、中日対読売ジャイアンツ(巨人)戦(中日球場)のラジオ中継で、中日の中山俊丈による9回ノーヒットノーラン達成の瞬間を実況していた。 1973年10月22日:阪神タイガース対読売ジャイアンツ(巨人)戦両チームにとってセントラル・リーグ優勝の掛かった大一番だったが、巨人が9-0で大勝するとともにリーグ9連覇を達成。試合終了の直後から、怒り心頭に発した大勢の阪神ファンが、スタンドや三塁側の巨人ベンチ内で暴動を起こした(阪神タイガース#世紀の落球とV9も参照)。内野スタンドバックネット裏中段の放送席でも、サンテレビと同時に試合を中継していた読売テレビのテレビカメラが、ファンに奪われたあげく破壊されるなどの被害が発生。しかし西澤は、「サンテレビは、俺らの味方や!手を出すな!」というファンの一声で、辛うじて放送席ごと難を逃れた。この一件は、「サンテレビが阪神ファンから絶大な信頼と愛情を寄せられているエピソード」として、現在まで語り継がれている。ただし西澤は、「(試合終了後にも)放送が続いていたため、何事か実況していたはずだが、何を喋っていたのかは記憶の中からすっぽりと抜け落ちている」という。 1982年7月8日:阪神タイガース対広島東洋カープ戦岡山県野球場での阪神主催試合だったが、阪神の攻撃中に蛇がナイター照明設備へ入り込んだ影響で、球場全体が18分間にわたって停電。サンテレビではテレビ中継用の電源車を場外に停車させていたため、停電中も場内の情景などを伝えながら実況を続けた。 1985年10月31日:日本シリーズ第5戦(阪神タイガース対西武ライオンズ戦)独立UHF局による史上初の日本シリーズ中継。西澤が同シリーズの試合を実況したのは、この日だけである。ただし、現在に至るまで、阪神のセントラル・リーグ優勝や日本シリーズ制覇の瞬間を実況したことはない。 1992年9月11日:日本プロ野球史上最長試合(阪神タイガース対ヤクルトスワローズ戦)試合時間が6時間26分に及んだ末に、延長15回で引き分け。西澤は、当日の午前9時から午後2時まで兵庫県芦屋市のスタジオでサンテレビのNFL関連番組を収録した後に、隣の西宮市にある甲子園球場へ移動。午後6時の試合開始から、放送終了の翌12日の午前0時35分まで、ウーロン茶を缶2本分飲んだだけで何も食べずに実況を続けた。この中継は、平均視聴率28.0%、瞬間最高視聴率50.0%を記録した(当時視聴率調査を実施していたエーシーニールセン・関西地区調べ)。
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