宝塚市の斑状歯訴訟についての年表
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「水道水フッ化物添加についての議論」の記事における「宝塚市の斑状歯訴訟についての年表」の解説
1949年(昭和24年) 兵庫県は、1945年の予備調査の結果を受け、兵庫県衛生部内にフッ素被害対策委員会を組織した。 1954年(昭和29年) 武庫郡良元村と川辺郡宝塚町が合併し、新たに宝塚市となった。 1971年(昭和46年) 宝塚市内の私営簡易水道と水源地が、宝塚市により統一される。宝塚市立西山小学校PTA総会にて、伊熊和也が、斑状歯(歯のフッ素症)を取り上げて欲しい、フッ素で子どもらの歯はむしばまれているのだと訴える。5月23日、伊熊は、ABCテレビを通じて、自身が調査したデータにもとづき、西山小学校の多数の児童に斑状歯の症状が認められたと公表した。 1971年(昭和46年)12月宝塚市斑状歯専門調査会が発足し、1974年(昭和49年)7月に最終報告書をまとめている。上水道のフッ化物濃度が0.4から0.5mg/Lの地区では、M1以上の歯のフッ素症が25.4%と報告された。 1974年(昭和49年) 3月市民団体である宝塚市斑状歯問題連絡会議が発足した。 1975年(昭和50年) 1月宝塚市高松浄水場にフッ素電解除去設備が用意された。これは日本で唯一のフッ素除去設備である。フッ素電解除去設備は1977年に休止している。また現在は高松浄水場、フッ素電解除去設備の両方が休止している。 1975年(昭和50年) 9月斑状歯認定の申請受付が開始されている。10月斑状歯認定検診が始まる。 1976年(昭和51年) 5月斑状歯認定委員会発足。6月斑状歯初の公費治療者決定、治療補償が開始される。 1979年(昭和54年) 3月梅村斑状歯認定医が退任。6月に認定検診が中断される。 1980年(昭和55年) 6月西川認定医による認定検診再開、宝塚市による認定漏れが確認される。7月伊熊が宝塚市斑状歯対策室長を虚偽公文書作成容疑で神戸地検に告発した。8月1日伊熊斑状歯認定医、判定委員長は、1976年から5年間の斑状歯公費治療の92%が同氏であることを問題視する宝塚市議会に対し、治療の中止、斑状歯治療指定医療機関の閉院を宣言する。8月4日宝塚市は住民推薦の判定委員である、伊熊斑状歯判定委員長と西川斑状歯判定副委員長を、斑状歯認定医と斑状歯判定委員、同じ人物が二つの職務を兼ねているのはチェックの意味がなく好ましくない、として解職した。9月13日伊熊斑状歯認定医、斑状歯専門委員を職務放棄のため解任、斑状歯治療指定医療機関としての契約も解除へ、と報道される。9月29日宝塚市は、係長級、一般職員の二人で担当していた斑状歯対応を、課長級担当主幹を設け、課長級、係長二人の対応とした。同日、宝塚市議会は、斑状歯問題対策特別委員会を設置した。 1981年(昭和56年) 2月13日大阪地方裁判所にて斑状歯1次訴訟が提訴された。これは1987年(昭和62年)3月23日に棄却されている。また1991年(平成3年)11月25日には大阪高等裁判所にて棄却されている。1993年(平成5年)4月17日には最高裁判所にて棄却されている。 1982年(昭和57年) 3月31日宝塚市斑状歯の認定及び治療の給付に関する条例ならびに施行規則が制定され4月1日から施行された。 1983年(昭和58年)4月宝塚市フッ素問題調査研究会が発足し、1988年(昭和63年)3月に最終報告書がまとめられている。 1987年(昭和62年)3月17日神戸地方裁判所にて斑状歯2次訴訟が提訴された。また4月20日には同裁判所にて斑状歯3次訴訟が提訴された。これらは1999年(平成10年)6月2日に棄却されている。 2016年(平成28年) 宝塚市は、昭和50年度から平成27年度までで、斑状歯の認定者数は1,429人(予備認定者818 人)、斑状歯対策経費は1,015,077,948円(うち治療費262,695,221円)と公開した。
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