安定器の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 06:08 UTC 版)
九一式航空魚雷は、初期の加速度制御機構を備えたロール安定制御システムで称賛を得た。九一式航空魚雷は、すでに脱落式の空中姿勢安定木製尾翼(框板)を備えていて安定した雷撃が実現できていた。しかし、魚雷の射出速度が 130 ノットから 180 ノットに引き上げられたので、転動(ローリング)問題が出現した。単なる安定板による減衰方式ではなく、ローリングを舵によって安定させる加速度制御システムが必要となったのである。 安定器(ロール安定制御システム)が導入される以前は、九一式航空魚雷は、当時の他の航空魚雷がもっていたのと同じ、ある深刻な問題を抱えていた。高速で荒っぽく射出されると、魚雷は空中で2回転以上することがあった。大波の立つ荒れた海面に突入するとき、魚雷はさらに激しい衝撃を受け、スピン回転を受けることがあった。そのような魚雷は走行方向が逸れたり、浅海面では海底に突き刺さったり、100 m を超える水深に沈下して水圧で壊れたり、水中から飛び上がったり、水面を飛び跳ねたりし、反対方向に走り出すものもあった。確実な雷撃は、一部の精鋭搭乗員だけが静かな海で行うことができた。 連続回転している魚雷は制御を失う。ジャイロスコープや深度計が正常に動作していても、そのような激しい外乱を受けた状態の魚雷は、それに比較して緩やかな軌道修正動作を目的に作られた尾部の舵では走行方向を制御することができない。いったん魚雷が長軸をまわる速い回転を起こすと、水平舵と垂直舵があるべき位置からずれたり、上下反転したりして、結果的に暴走を引き起こした。 1939年、広田大尉(当時)の率いるエンジニアと科学者たちは、数年にわたるテストのデータによる数値解析から、一つの結論を導き出した。航空魚雷には加速度制御(PID制御)によるロール安定制御システムが必要であり、さもなければその航空魚雷は転動し暴走するだろうという結論であった。加速度制御は、当時としては不可能と思われた。この問題が解決されないまま、2年間が経過した。 航空魚雷の設計におけるブレークスルーは、まず1941年春に空技廠の家田工長によって最初に発明された安定器(ロール安定制御システム)だった。家田システムの実験に入って10日後に、海軍技師の野間が別のシステムを発明し、1941年夏に最終テストされた。こちらもまったく同じ動作をするが構造は異なっていた。試作機のテスト期間に、後者のシステムの方が応答タイムラグが少ない点で、より良いと判定された。この結果、生産された九一航空魚雷には野間システムが採用された。 その装置は、単なる小さな機械式の空気バルブ構造物が、魚雷本体後部の左右にある小さな安定舵(ロール・ラダー)を制御しているだけのように見えたが、実は航空魚雷技術界の技術革新だった。九一式航空魚雷ははじめて、荒れた海で使えるようになった。 安定器は、魚雷の両側に設置された安定舵で魚雷の転動(ローリング)を安定化するための操舵制御システムである。安定舵は飛行機の補助翼(エルロン)と同じく左右ひねり動作を生じ、±22.5° の角度範囲で動作する。魚雷が回転運動中か、所定の角度までロールしたとき、安定器は、中立方向に戻すように安定舵を修正操舵する。魚雷が中立の 0° に向かってロールを戻してくる途中で、安定器はこの角速度の向きとロール収束範囲を検知して、魚雷が中立に戻る角速度にブレーキをかける(「当て舵」動作をする)。 変位角速度の範囲、角速度変化(加速度)に応じて選択的に当て舵を操舵する部分は角加速度操舵方式となる。 安定器付き九一式航空魚雷改2により、沈降深度 20 m 以下で雷撃を実現できるようになった。実際には、機動部隊の第一航空戦隊所属の一握りの雷撃隊精鋭パイロットたちは、沈降深度 10 m 以下で浅海面での雷撃をすることができた。安定器によって、浅い軍港に停泊中の軍艦を雷撃可能にしただけではなく、全速力で荒れた海の大波の中を進む軍艦を雷撃可能にした。
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