女真の統一
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李成梁は、明が制御できる程度に大きな勢力を一つ作り、その後ろ盾になることで女真を治めようとした。これに選ばれたのが建州女真の中のヌルハチであった。ヌルハチはその後、1587年にジェチェン(ᠵᡝᠴᡝᠨ, jecen, 哲陳)部、1588年にワンギャ(ᠸᠠᠩᡤᡳᠶᠠ, wanggiya, 完顔)部を支配した。最後に残ったホホリもヌルハチに帰順した。こうしてヌルハチは、万暦17年(1589年)に建州五大部を統一することに成功した。ヌルハチの支配する国は、建州女真の別名でマンジュ国と呼ばれるようになった。李成梁の思惑は上手く行き、ヌルハチは女真の中の大勢力となった。それと同時に李成梁の懐に入る賄賂の量も大幅に増えたが、これに気を良くしたのか、ヌルハチの統御を怠っていた。 女真の大首長となったヌルハチは、明に朝貢して勅書500通を得た。この勅書を活用して馬市や市場を拡大し、富を増やし、他部族の攻略に備えた。建州女真を統一したヌルハチの次の目標は海西女真であった。海西女真も利害の対立から争いは絶えなかった。 1589年、海西女真のフルン四部の一つ、イェへ(ᠶᡝᡥᡝ, yehe, 葉赫)部の首長のナリンブル (ᠨᠠᡵᡳᠮᠪᡠᡵᡠ, narimburu)がフルンの盟主となった。ナリンブルは女真を統一しようとして、ヌルハチに帰順を求めた。ヌルハチはこれを無視して対立を深めた。 この時期の明は、日本の豊臣秀吉による文禄・慶長の役への対応に忙殺されていたこともあり、女真への介入は少なかった。明と日本が戦っている間に、女真の争いは頂点に達した。イェヘ部の首長のナリンブルは1593年6月、ハダ(ᡥᠠᡩᠠ, hada, 哈達)部、ウラ(ᡠᠯᠠ, ula, 烏拉)部、ホイファ(ᡥᠣᡳᡶᠠ, hoifa, 輝発)部と連合軍を結成して建州を攻めたが、待ち構えていたヌルハチに追撃されて大敗した。 同年9月、再びイェへ部の首長のナリンブルはハダ部、ウラ部、ホイファ部、ジュシェリ(ᠵᡠᡧᡝᡵᡳ, jušeri, 珠舎里)部、ネイェン(ᠨᡝᠶᡝᠨ, neyen, 納殷)部、シベ(ᠰᡳᠪᡝ, sibe, 錫伯)部、グワルチャ(ᡤᡡᠸᠠᠯᠴᠠ, gūwalca, 卦爾察)部、ノン・コルチン部と9部連合軍を結成し、3万の大軍を繰り出し、3方面からヌルハチを攻撃した(グレの戦い)。9部連合軍が建州の城を攻めている間、スクスフ河(ᠰᡠᡴᠰᡠᡥᡠᠪᡳᡵᠠ, suksuhu bira, 蘇子河)北岸のグレ(ᡤᡠᡵᡝ, gure, 古埓)山の山影にヌルハチ軍の精鋭を置き、ヌルハチはわずか100騎で奇襲して逃げ、連合軍が後を追うと、待ち伏せていたヌルハチ軍に包囲され大敗した。この戦いで、海西女真と建州女真の勢力が逆転する。これにより、女真の諸部族はヌルハチに従う者が多くなり、明はヌルハチに対し竜虎将軍の官職を授けた。なお、李成梁はこの2年前に汚職を弾劾され、更迭されている。
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女真の統一
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詳細は「明統治下の満洲(英語版)」を参照 国・勢力指導者状況・目的建州女真 ヌルハチ マンジュ・グルン(国)を建国。勝利 イェヘ、ウラ、ホィファ等 女真9ヶ国の連合軍。マンジュ・グルンを攻撃。敗北 満洲人(マンジュ)は、がんらいジュシェン(女真、または女直)と称していた。女真人は東北部の遼寧、吉林、黒龍江から沿海州、朝鮮半島の東北部に暮らしており、狩猟と騎射に熟練した定住農耕民だった。歩兵が弓矢や刀、槍を扱い、騎兵は後方に控えるというのが軍隊の主な隊形であった。 建州女真の長であるヌルハチは、実際の清の建国よりさかのぼって清朝の創始者とされている。女真は、16世紀の後半から村や一族ごとに争う状況になっており、ヌルハチはこの時期に勢力を拡大した。遼東は永白山(白頭山)付近の薬用人参や、黒龍江以北の貂の毛皮を貿易品にしており、建州女真はこれを独占した。明では遼東総兵官の李成梁が女真人を統制しており、李成梁は遼東の女真人と明が行う貿易も庇護した。ヌルハチは明に対して従順な姿勢を示して李成梁の好意を得て、明との貿易で利益を得た。 建州女真は強大となり、撫順関の東方地域周辺を勢力下に収め、マンジュ・グルン(国)を称した。ヌルハチは明の好意のもとで1589年に都督僉事に任命され、翌年には自ら北京へ赴いて朝貢した。ヌルハチの勢力拡大に脅威を覚えた他の女真人は、イェヘ(葉赫那拉氏)・ハダ(哈達)・ウラ(中国語版)(烏拉)・ホイファ(中国語版)(輝発)などを中心に9ヵ国の連合軍でマンジュ・グルンを襲撃したが、ヌルハチはこれを退けた。
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