女神 Cisa
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Cisa(dea Ciza) がアウクスブルクの女神である。シュヴァーベン族によってレヒ川とヴェルタハ川の間に築かれた都市 Cisaris(後のアウクスブルク)に対するローマ人の包囲戦失敗について、1135年頃にウルスベルク修道院で制作された『Excerptum ex Gallica Historia』の傍注に記述されている。それによれば、この街は女神 Cisaの聖域にちなんで名付けられたとされている。この文書にはさらに、地区名のクリークスハーバーはグリーヒェン・アファー(ギリシアのAvar)に、ハーフェンベルクはローマの軍事長官ハベーノ(またはヘバイノ)にプファーゼーは軍事司令官フェレスにそれぞれ由来すると記述している。この12世紀のテキストは明白な重点をもった散漫な寄せ集めであり、伝承研究にとっては、アレマン時代以前の地域名にありきたりでファンタジックな解釈を施したものに過ぎない。ただし、女神 Cisa についてはヤーコプ・グリムがその著書『ドイツ神話学』で「注目すべき伝承」とはっきりと重視しており、議論の対象となっている。 現在の聖ウルリヒおよび聖アフラ教会に近いキッツェンベルク付近でアレマン人によるテュール神崇拝の儀式が行われていたかどうかは、未だに学問上確定していない。アウクスブルクでは、遅くとも中世後期以降にはローマ属州時代のメドゥーサの首が、現在のウルリヒ教会に塗り込められていた。これは現在、市内のローマ博物館で見ることができる。Cisaの姿はペルラハ塔の風見に見ることができる。また、アウクスブルク聖堂の聖堂の扉の彫刻にこの女神を示唆するものがある。
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