金の興亡と満州への改称とは? わかりやすく解説

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金の興亡と満州への改称

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 23:49 UTC 版)

女真」の記事における「金の興亡と満州への改称」の解説

12世紀はじめ完顔部の阿骨打出て女真の統一進め1115年に遼から自立して金を建国した。金は、遼、北宋滅ぼし中国の北半分支配した金の時代に、漢字契丹文字影響女真文字つくったが、元・明の間に忘れ去られた。やがて、金がモンゴル帝国滅亡させられた際には、故地を既にモンゴル軍奪われ中原取り残され大勢女真モンゴル人漢人双方からの攻撃受けて大半歴史から姿を消し中原から女真集団消滅した一方故地残って集団保っていた女真は、モンゴル元に服属することになった元代女真満洲から朝鮮半島北部にかけて居住して元の支配受けており、元の日本侵攻元寇)にも女真兵が加わっている。 元の滅亡後女真モンゴルから離れ小集団ごとに明に服属した。また、朝鮮半島では高麗変わって登場した李氏朝鮮世宗時代朝鮮半島北部女真居住地域征伐し平安道咸鏡道組み込まれ半島北部からは女真人の姿は失われていった15世紀から16世紀にかけて、満洲最南部の朝鮮接す鴨緑江豆満江流域女真人たちは、たびたび李氏朝鮮反撃仕掛け豆満江南岸地域争奪繰り返した二度にわたる胡乱で、現在の北朝鮮北部居た女真人新たに入植し来ていた朝鮮人と共に中国連行され当地無人の地となった跡地には朝鮮人入って来て、完全に朝鮮化された。 明は女真部族ごとに衛所制によって編成し部族長官職朝貢権利与えて間接統治行った明代後半には、女真大きく2つまとまった集団である建州女直自称は「マンジュ」(満洲))5部・海西女直自称は「フルン」)4部と、それより東方住んでまとまりの弱い野人女直(この当時野人女直女真族集団の中では最も勇猛だった)と呼ばれる4部からなっていた。16世紀末に建州女直から出たヌルハチはこれら13部族統一して1616年後金建てた1635年ホンタイジモンゴルチャハル部下して元の玉璽入手すると、漢字としては蔑称ニュアンスを含む上に、モンゴル高原契丹従属していた当時女真民族名を嫌い、1635年11月22日天聡9年十月庚寅)に民族名満洲族満洲民族の項参照)に改めさせた。また、それまで女真族王朝である金の後裔として「後金」と名乗っていたが、民族名変更伴って1636年国号も「清」に改めた

※この「金の興亡と満州への改称」の解説は、「女真」の解説の一部です。
「金の興亡と満州への改称」を含む「女真」の記事については、「女真」の概要を参照ください。

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