女真が高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称した問題とは? わかりやすく解説

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女真が高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称した問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:10 UTC 版)

函普」の記事における「女真が高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称した問題」の解説

著者著書記述内容鄭麟趾高麗史睿宗世家睿宗四年(1109年六月女真人裊弗,史顕等出使高麗向高麗王上奏説:昔我太師盈歌嘗言,我祖宗出自大邦,至于子孫,義合帰附。今太師烏雅束亦以大邦父母之国。在甲申年間,弓漢村人不順太師指諭者,挙兵懲之。国朝以我為犯境,出兵征之,得許修好,故我信之,朝貢不絶。不謂去年大挙而入,殺我耄倪。置九城,使流亡靡所止帰,故太師使我来請旧地。若許還九城,使安生業,則我等天為誓,至于世世子孫恪修世貢,亦不敢以瓦礫投于境上。 鄭麟趾高麗史睿宗世家睿宗十二年(1117年三月金主阿骨打遣阿只等五人寄書高麗王曰:兄大女真金皇帝致書于弟高国王自我祖考介在一方,謂契丹大国高麗父母之邦,小心事之。契丹無道陵轢疆域奴隷我人民,屡加無名之師。我不得已拒之,蒙天之獲殄滅之。惟王許我和親結為兄弟,以成世世無窮女子。 『高麗史睿宗世家二には、睿宗四年(1109年六月女真の裊弗や史顕などが高麗王朝に出使した時に高麗王に「父母之国」と上奏したと記されている。また、高麗史睿宗世家三には、睿宗十二年(1117年三月高麗王は阿骨打などから「父母之邦」という記述のある書簡送られたとある。しかし、高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と呼んだという記録だけでは、函普高麗人であることの証明はならず具体的な考証が必要となる。 完顔盈歌烏雅束阿骨打などが高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称したのは、一定の理由があったとみられる一時期函普高麗王朝暮らしており、渤海統治下の諸民族渤海人とされ、金統治下諸民族金人とされたように函普高麗人みなされた。古代社会ではこのような広義と狭義の称を区別せず混在して併用するのが常であり、完顔盈歌烏雅束阿骨打などは、函普高麗王朝暮らし高麗文化の影響受けたという側面から、広義の称において高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称し狭義の称、すなわち函普高麗王朝統治下の女真であることを否定していない。高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称したとする『高麗史』の記事背景には一定の理由がある。『高麗史睿宗世家二の場合高麗王朝女真領を占領後東北九城築造したといい、その東北九城返還要求するために女真の裊弗や史顕などを使者として高麗王朝派遣しており、東北九城返還実現するため、高麗王朝を「父母之国」と呼んだ。すなわち、辞を卑しくしつつ、低姿勢を取らざるを得なかったのは、その国際的環境緊張要請からと考えられる。 『高麗史睿宗世家三の場合金軍保州中国語版占領時、契丹保州高麗王朝献納したことから、阿骨打保州獲得するため使者派遣し女真高麗王朝との関係を「父母之邦」であると述べたことから、事実上友好関係を結ぶという以上の意味はない。女真高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称したとする記録はこの二例のみであり、その後女真高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称したとする記録はない。また、女真高麗王朝を「父母之国」あるいは「父母之邦」と称したことに高麗人同意しておらず、女真を「人面獣心」「貪而多詐」と称し、「夷狄」とみなしていた。宋が遼への共同攻撃に加わるため、金に使者を送ると、高麗仁宗は宋の徽宗医者送り、「女真狼虎耳、不可交也」、つまり女真狼虎耳であり、付き合うべきではないという書簡送っており、女真禽獣視し、同族認識していないことは明らかであり、函普新羅人あるは高麗人ではないことを示している。したがって函普出自について狭義広義の称から理解すべきであり、函普狭義の称(民族)は女真である。一方広義の族(事実上国名)は、函普新羅暮らしていたため、渤海統治下の諸民族渤海人とされ、金統治下諸民族金人とされたように新羅暮らしていた函普新羅人とされ、その後函普新羅から高麗王朝移り高麗王朝暮らし高麗人という広義の称(事実上国名)とされた。

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