大阪大学考古学研究室と宝塚市教育委員会による古墳調査経過とは? わかりやすく解説

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大阪大学考古学研究室と宝塚市教育委員会による古墳調査経過

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/24 03:38 UTC 版)

長尾山古墳」の記事における「大阪大学考古学研究室と宝塚市教育委員会による古墳調査経過」の解説

2007年平成19年5月からは、長尾山古墳測量発掘調査向けて大阪大学考古学研究室と宝塚市教育委員会兵庫県教育委員会との連絡調整、そして猪名川流域古墳についての先行研究整理など、古墳調査向けて準備本格化した。そして2007年8月27日長尾山古墳測量発掘調査開始され9月24日まで調査が行われた。2007年度測量発掘調査結果長尾山古墳前方後円墳である可能性極めて高く、また多く葺石埴輪片を検出し埴輪形式から古墳時代前期前半古墳であると考えられた。なお、この時の大阪大学考古学研究室による発掘調査第1次発掘調査としている 2007年度調査結果受けて長尾山古墳重要性改め認識されたことにより、宝塚市教育委員会国費県費補助受けて埋蔵文化財調査として発掘調査を行うことになった一方大阪大学長尾山古墳調査研究を「古墳時代政権交替論の考古学的再検討」の一環として科学研究費助成事業による科学研究費補助金得て学術面からの長尾山古墳発掘調査継続することになった結局2008年平成20年8月から9月にかけて、宝塚市教育委員会大阪大学考古学研究室がほぼ同時期に長尾山古墳発掘調査実施した宝塚市教育委員会発掘調査墳丘トレンチ複数入れることによって、墳形古墳規模埴輪列などの確認目的として行われ大阪大学考古学研究室の発掘調査古墳埋葬施設状況確認すべく、墳頂部発掘行った2008年度宝塚市教育委員会による発掘調査第2次発掘調査大阪大学考古学研究室による発掘調査第3次発掘調査としている。 宝塚市教育委員会調査埋蔵文化財行政としての調査大阪大学考古学研究室の調査学術的な研究目的調査であったが、ともに連携しながらお互い成果最大限生かしていけるように図っていった。このような地方自治体大学とのいわば合同発掘調査は、古墳という文化財保存活用調査研究共同で行うという文化財行政テストケースともなった第2次発掘調査によって長尾山古墳前方後円墳であることが確定した。また埋葬施設確認については、2008年度調査では樹木保護のために調査範囲限定されていたため、木棺腐食に伴う陥没によると考えられる礫群と墓坑と考えられる土質変化などが検出される止まった2009年平成21年)度も引き続き宝塚市教育委員会大阪大学考古学研究室による発掘調査が行われた。調査はやはり8月から9月にかけて実施され宝塚市教育委員会発掘墳丘トレンチ複数入れることによって古墳規模段築などの古墳の形態について確認行い大阪大学考古学研究室の発掘調査墳頂部埋葬施設の調査継続した2009年度調査宝塚市教育委員会による発掘調査第4次発掘調査大阪大学考古学研究室による発掘調査第5次発掘調査としている。 2009年発掘調査によって、古墳の形態としては前方部については二段築成と判断されたが、後円部については二段であるか三段であるかはっきりしなかった。また墳頂部発掘では、前年確認された、木棺腐食に伴う陥没によると考えられる礫群の中から多く土師器片が検出されたことなどから、やはり小礫群を含む土層木棺腐食伴って古墳上面落ち込むことにより形成されたと判断され、また長さ約7.8メートル、幅約5.2メートル隅丸方形の墓壙が確認された。 2010年平成22年)度についても宝塚市教育委員会大阪大学考古学研究室による発掘調査継続され2008年度2009年度同じく古墳規模段築などの古墳の形態について確認するための発掘調査宝塚教育委員会が、そして埋葬施設について発掘調査大阪大学考古学研究が行った。2009年度調査についても、宝塚市教育委員会による発掘調査第6次発掘調査大阪大学考古学研究室による発掘調査第7次発掘調査としている。2010年度調査2010年8月末から10月末までの約2ヵ月間行われ、長尾山古墳古墳主軸に対して前方部北側がやや開いた非対称造営されていたこと、長尾山古墳後円部二段築成であり、古墳全体二段築成であることが判明した。そして埋葬施設について長さ約6.8メートル、幅約2.6~2.7メートル、高さ約1.0メートル遺存状態が極めて良好な粘土槨一基確認され、墓坑の南東部からは墓坑内排出する排水溝延びていることが確認された。 2011年平成23年)度には大阪大学考古学研究室による第8次発掘調査2011年9月から10月にかけて行われた2011年度調査は、「21世紀初頭における古墳時代歴史像総括的提示とその国際的発信」の一環として科学研究費助成事業による科学研究費補助金得て行われた発掘調査結果後円部墳丘裾の位置確認され長尾山古墳墳丘長は41メートルであることと、後円部の形も北側がやや大き不整円形であることが判明した。また2010年度調査確認され排水溝は、墓坑の南東部から古墳前方部後円部を繋ぐくびれ部分向けて延びていることが確認された。なお、2011年調査では墳丘測量十分に行うことが出来なかったため、2012年平成24年2月追加測量調査実施した

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