大阪大学考古学研究室と宝塚市教育委員会による古墳調査経過
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「長尾山古墳」の記事における「大阪大学考古学研究室と宝塚市教育委員会による古墳調査経過」の解説
2007年(平成19年)5月からは、長尾山古墳の測量、発掘調査に向けて、大阪大学考古学研究室と宝塚市教育委員会、兵庫県教育委員会との連絡調整、そして猪名川流域の古墳についての先行研究の整理など、古墳調査に向けての準備が本格化した。そして2007年8月27日、長尾山古墳の測量、発掘調査が開始され、9月24日まで調査が行われた。2007年度の測量、発掘調査の結果、長尾山古墳は前方後円墳である可能性が極めて高く、また多くの葺石、埴輪片を検出し、埴輪の形式から古墳時代前期前半の古墳であると考えられた。なお、この時の大阪大学考古学研究室による発掘調査を第1次発掘調査としている 2007年度の調査結果を受けて長尾山古墳の重要性が改めて認識されたことにより、宝塚市教育委員会は国費、県費の補助を受けて埋蔵文化財調査として発掘調査を行うことになった。一方、大阪大学は長尾山古墳の調査研究を「古墳時代政権交替論の考古学的再検討」の一環として科学研究費助成事業による科学研究費補助金を得て、学術面からの長尾山古墳の発掘調査を継続することになった。結局、2008年(平成20年)8月から9月にかけて、宝塚市教育委員会と大阪大学考古学研究室がほぼ同時期に長尾山古墳の発掘調査を実施した。宝塚市教育委員会の発掘調査は墳丘にトレンチを複数入れることによって、墳形、古墳の規模、埴輪列などの確認を目的として行われ、大阪大学考古学研究室の発掘調査は古墳の埋葬施設の状況を確認すべく、墳頂部の発掘を行った。2008年度の宝塚市教育委員会による発掘調査を第2次発掘調査、大阪大学考古学研究室による発掘調査は第3次発掘調査としている。 宝塚市教育委員会の調査は埋蔵文化財行政としての調査、大阪大学考古学研究室の調査は学術的な研究目的の調査であったが、ともに連携しながらお互いの成果を最大限に生かしていけるように図っていった。このような地方自治体と大学とのいわば合同発掘調査は、古墳という文化財の保存活用、調査研究を共同で行うという文化財行政のテストケースともなった。 第2次発掘調査によって長尾山古墳は前方後円墳であることが確定した。また埋葬施設の確認については、2008年度の調査では樹木保護のために調査範囲が限定されていたため、木棺の腐食に伴う陥没によると考えられる小礫群と墓坑と考えられる土質の変化などが検出されるに止まった。 2009年(平成21年)度も引き続き宝塚市教育委員会、大阪大学考古学研究室による発掘調査が行われた。調査はやはり8月から9月にかけて実施され、宝塚市教育委員会の発掘は墳丘にトレンチを複数入れることによって古墳の規模、段築などの古墳の形態について確認を行い、大阪大学考古学研究室の発掘調査は墳頂部の埋葬施設の調査を継続した。2009年度の調査は宝塚市教育委員会による発掘調査を第4次発掘調査、大阪大学考古学研究室による発掘調査は第5次発掘調査としている。 2009年の発掘調査によって、古墳の形態としては前方部については二段築成と判断されたが、後円部については二段であるか三段であるかはっきりしなかった。また墳頂部の発掘では、前年に確認された、木棺の腐食に伴う陥没によると考えられる小礫群の中から多くの土師器片が検出されたことなどから、やはり小礫群を含む土層は木棺の腐食に伴って古墳上面が落ち込むことにより形成されたと判断され、また長さ約7.8メートル、幅約5.2メートルの隅丸方形の墓壙が確認された。 2010年(平成22年)度についても宝塚市教育委員会、大阪大学考古学研究室による発掘調査が継続され、2008年度、2009年度と同じく古墳の規模、段築などの古墳の形態について確認するための発掘調査を宝塚教育委員会が、そして埋葬施設についての発掘調査を大阪大学考古学研究室が行った。2009年度の調査についても、宝塚市教育委員会による発掘調査を第6次発掘調査、大阪大学考古学研究室による発掘調査は第7次発掘調査としている。2010年度の調査は2010年8月末から10月末までの約2ヵ月間行われ、長尾山古墳は古墳の主軸に対して前方部北側がやや開いた非対称に造営されていたこと、長尾山古墳の後円部も二段築成であり、古墳全体が二段築成であることが判明した。そして埋葬施設については長さ約6.8メートル、幅約2.6~2.7メートル、高さ約1.0メートルの遺存状態が極めて良好な粘土槨一基が確認され、墓坑の南東部からは墓坑内の水を排出する排水溝が延びていることが確認された。 2011年(平成23年)度には大阪大学考古学研究室による第8次発掘調査が2011年9月から10月にかけて行われた。2011年度の調査は、「21世紀初頭における古墳時代歴史像の総括的提示とその国際的発信」の一環として、科学研究費助成事業による科学研究費補助金を得て行われた。発掘調査の結果、後円部の墳丘裾の位置が確認され、長尾山古墳の墳丘長は41メートルであることと、後円部の形も北側がやや大きい不整円形であることが判明した。また2010年度の調査で確認された排水溝は、墓坑の南東部から古墳の前方部と後円部を繋ぐくびれ部分に向けて延びていることが確認された。なお、2011年の調査では墳丘の測量を十分に行うことが出来なかったため、2012年(平成24年)2月に追加で測量調査を実施した。
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