大阪大学時代
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2009年8月、近藤は大阪大学大学院生命機能研究科の教授に就任し、パターン形成研究室を率いる。ゼブラフィッシュにおいて黄色と黒色の色素細胞が相互反応して模様が変化することを解明し、2012年の『サイエンス』に論文が掲載される。同年、科学技術政策研究所(NISTEP)の「科学技術への顕著な貢献2012」(ナイスステップな研究者)に選出される。一方で2010年度から反応拡散波が骨の形態形成にも影響していないか研究を始めている。 学会活動では日本分子生物学会の2013年年会(第36回)の年会長を務め(節「#人物」や「#ガチ議論」も参照)。2014年度からは同学会の理事に就任。一方2013年には『波紋と螺旋とフィボナッチ』が出版され、2014年にはビートたけしと『新潮45』で対談。2015年にはテレビ番組「所さんの目がテン」に出演するなど、生物の縞模様の研究者として著名になる。校務では2016-2017年度には大阪大学大学院生命機能研究科の第8代目研究科長を務めている。 研究では動物の形態形成について分子レベルの研究を進め、骨の形成に潜むチューリング・パターンに挑む。2015年から2019年は新学術領域研究として「3D MORPHOLOGIC 生物の3D形態を構築するロジック」の領域代表を、2019年からは基盤研究A「細胞が材料を組み立てて体を「建築」する仕組みの解明」の研究代表者を務める。
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大阪大学時代
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1968年4月には大阪大学基礎工学部機械工学科に助教授として招かれる。ここでは流体力学の研究グループの中で機械制御の研究に取り組むとともに、情報理論についても考察を続けていた。 1973年には、36歳ながらプラント工学講座の教授に就任。学科から境界領域の研究を要請されたことに加え、自身がクロード・シャノンに心酔していたことが影響し、計算機や機械の境界領域の研究としてロボットの研究に取り組むことになる。 大阪大学では作業座標フィードバック制御、二足歩行、学習制御に取り組む。
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