大蔵貢の登場とは? わかりやすく解説

大蔵貢の登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 08:22 UTC 版)

新東宝」の記事における「大蔵貢の登場」の解説

1955年昭和30年)、元活動弁士で、歌手近江俊郎実兄として知られる東京大手映画興行主・大蔵貢が、新東宝定期株主総会株主として出席し経営に関する意見発した。これに新東宝主要株主後楽園スタヂアム社長で、東宝社長小林一三異母弟で「関東興行界のドン」と目され田邊宗英同調した大蔵社長に迎えられ事実上新東宝買収する。この点で東宝影響力少なからずあったと見る向きもある[要出典]。すでに当時東映移籍していた早撮り巨匠渡辺邦男呼び戻し取締役にしている。 ここで大蔵の採った施策は「安く早く面白く」で、大蔵経営ワンマン体制確立した。「テスト1回ハイ本番」のスローガンポスター撮影所に貼られた。1957年昭和32年)の渡辺邦男監督嵐寛寿郎主演による『明治天皇と日露大戦争』史上空前ヒットとなったが、配給網が弱いため、他社劇場利益持っていかれた。これ以前から東宝との再統合含め何度他社との合併統合話が持ち上がったが、そのたびごとに、株主反対合併後主導権争い等により不調に終わったそんな中宇津井健天知茂吉田輝雄菅原文太三原葉子若手スター健闘した新東宝の「エログロ路線とは、前田通子三原葉子万里昌代肉感的グラマー女優作品群を指す。音楽には1970年代以降に「宙明サウンド」の愛称多く支持者集める事になる渡辺宙明撮影には後に巨匠胡金銓キン・フー)やブルース・リー支えた西本正卓越した技術を持つ美術陣など優秀なスタッフ擁していたが、映画史的に公正な評価下されていない[要出典]。監督は、戦前派でひとり居残った巨匠中川信夫別格としても、土居通芳赤坂長義渡辺祐介センスの高い若手並び後年東映エログロ金字塔築き上げる石井輝男もこの時期モダニズムであった女優川本三郎著書『君美わしく』に詳しい。 1958年昭和33年2月には新東宝株式会社商号変更した。 同年渡辺監督再度退社している。大蔵独善的なワンマン体質によりヒットメーカー志村敏夫監督スター前田通子にも去られ業績以後急激に悪化1959年昭和34年)には、久保菜穂子若山富三郎東映移籍した映画作りえすれば客が入ったといわれた日本映画黄金期1950年代後半でも、新東宝映画館だけは閑古鳥鳴いていた。 テレビ時代到来に伴い大蔵第二東映との合併画策するが、交渉決裂1960年昭和35年12月1日大蔵労組ストライキにより辞任追い込まれた。しかし、その後の再建策も空しく1961年昭和36年8月末日新東宝株式会社倒産した倒産直前7月劇映画554本の放送権NHK民放売却されており、以後数年渡って日中時間帯放映された。これに伴い映画会社の6社協定が崩れ、5社協となった

※この「大蔵貢の登場」の解説は、「新東宝」の解説の一部です。
「大蔵貢の登場」を含む「新東宝」の記事については、「新東宝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大蔵貢の登場」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大蔵貢の登場」の関連用語

1
4% |||||

大蔵貢の登場のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大蔵貢の登場のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの新東宝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS