大蔵省検査と岡田信とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 大蔵省検査と岡田信の意味・解説 

大蔵省検査と岡田信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 02:46 UTC 版)

小笠原三九郎」の記事における「大蔵省検査と岡田信」の解説

1921年大正10年)、台湾銀行大蔵省岡田信別銀課長責任者とする検査入った。これより先に台湾銀行貸出不良とみられるものの相当額華南銀行貸出肩代わりが行われていた。岡田課長追求華南銀行に及び華南銀行減配整理にまで話が及ぶこととなり、対向の為役員全員総辞職申し入れた岡田考えにまったく影響を及ぼすと無く結果的に華南銀行常勤役員5名が全員辞職することとなった華南銀行整理に関して小笠原岡田との間で激論交わされたが、結果的に二人の間に個人として信用芽生え華南銀行退職後は小笠原台湾銀行重用すべきとの口添え岡田より台湾銀行中川頭取対し行われた小笠原東京定住することとなると岡田小笠原は共にダンスレッスン習ったり、酒席を共にして抱負語り合ったりした。一時期暮らした池袋の家も岡田自宅近くと言うこと買い求めたものであり、また岡田市川転居した後は家族苺狩り岡田宅に邪魔するなど家族ぐるみ付き合った岡田大蔵省退任したあと内務省官僚南弘引っ張られ東洋拓殖理事台湾総督府財務局長・北海道拓殖銀行頭取になったが、ある晩岡田自宅来て満州興銀総裁ならないと言う話あるが、どう思うか」との相談受けた小笠原は「率直に言うと今は満州時代国内経済すら満州引き回され状況にある。僕なら受ける。満州から帰ってきた大蔵畑の指導者になれば良い」と回答した岡田は「君も勧めるら行って一働きしてくるか」と語った。こうして岡田満州興銀総裁となったが、その評判頗る高かった。しかし日本敗戦すると、岡田中国人によって殺害されてしまった。その死を聞いた際、小笠原は「剛直恬淡・親切で人情篤く進んで他人の難を救う人であったため、満州で敵の弾丸倒れることとなったではないか岡田の死が悼まれてたまらない。岡田へのアドバイス今まで人生の中で最も後悔すべきことがらだ」と語った

※この「大蔵省検査と岡田信」の解説は、「小笠原三九郎」の解説の一部です。
「大蔵省検査と岡田信」を含む「小笠原三九郎」の記事については、「小笠原三九郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「大蔵省検査と岡田信」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大蔵省検査と岡田信」の関連用語

大蔵省検査と岡田信のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大蔵省検査と岡田信のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小笠原三九郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS