大改装後とは? わかりやすく解説

大改装後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:40 UTC 版)

ウェストバージニア (戦艦)」の記事における「大改装後」の解説

改装により外観大きく変化したウェストヴァージニア 1935年10月撮影 1944年7月撮影 ウェストバージニア1943年昭和18年5月7日真珠湾出発し自力アメリカ本土西海岸むかった前後の籠マストは既に撤去されており、航海艦橋後方頂部通信用の短い仮設マスト装備している。ワシントン州ブレマートンピュージェット・サウンド海軍造船所で、本格的な修理大規模な近代化改修工事受けた大改装により速力以外では米新鋭戦艦ノースカロライナ級、サウスダコタ級)に匹敵する能力となり、特にバルジ装着装甲強化により防御力では米新鋭戦艦部分的に上回っている。その代償として満載排水量41,000トン超え、艦幅の増大によりパナマ運河通過諦めざるを得なくなり機関部改装しなかった事から最高速力が若干低下した。なおウェストバージニア実施され改造徹底的だったので、姉妹艦コロラドメリーランド)よりも高性能となった1944年昭和19年7月修理終え9月から太平洋艦隊復帰した同年10月24日深夜から25日未明にかけて、スリガオ海峡第7艦隊司令長官キンケイド中将)と、栗田艦隊分遣隊西村艦隊)との間で夜戦繰り広げられた(レイテ沖海戦スリガオ海峡夜戦)。ウェストバージニアジェシー・B・オルデンドルフ中将指揮する第77任務部隊において戦列部隊第2群)に所属しており、西村祥治中将率い第一遊撃部隊第3部隊(通称西村艦隊”または“西村部隊”)を迎え撃った両軍戦闘序列)。西村艦隊米軍水雷戦隊襲撃戦艦扶桑駆逐艦3隻(満潮山雲朝雲)が沈没する戦闘不能となる。スリガオ海峡をなおも北上したのは、3隻(戦艦山城航空巡洋艦最上駆逐艦時雨)だけだったウェストバージニア以下の戦列部隊は、西村艦隊残存3隻に集中攻撃加えた。また真珠湾攻撃時に戦死したウェストバージニア艦長にちなむ駆逐艦ベニオン (USS Bennion,DD-662) も、山城魚雷攻撃行った大改装組(ウェストバージニアテネシーカリフォルニア)は射撃用レーダー射撃指揮装置活用し有効な砲撃行ったとされる第77任務部隊山城撃沈し味方駆逐艦アルバート・Wグラント (USS Albert W. Grant, DD-649) を同士討ち撃破したのみで、最上時雨逃げられた。 1945年昭和20年2月半ばまでレイテ湾周辺での哨戒対空戦闘実施した後に海域離れウェストバージニア硫黄島の戦い沖縄の戦い上陸部隊支援のための艦砲射撃対空警戒従事した沖縄戦ではスプルーアンス大将率い第5艦隊 (U.S. Fifth Fleet) に所属しモートン・デヨ少将の第54任務部隊として行動する沖縄地上戦開始後の4月1日特攻機突入小破した。4月7日から8日にかけて沖縄西方海上展開し菊水一号作戦沖縄目指す戦艦大和以下の水上特攻部隊襲撃備えた。しかし、大和らは第58任務部隊空襲によって撃沈され、デヨ部隊翌朝にその知らせ受け取った坊ノ岬沖海戦)。4月16日伊江島の戦い艦砲射撃従事

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